第23回総会・記念講演(2011年6月19日、ニューオータニイン札幌)

小出裕章

核・原子力問題の真実 パート2

福島原発事故からみえてくるもの(要旨)

小出 裕章(京都大学・原子炉実験所助教)

こいで ひろあき: 1949年生まれ。東北大学原子核工学科卒、同大学院修了。74年、京都大学原子炉実験所助手(現在は助教)。専門は放射線計測、原子力安全。伊方原発訴訟住民側証人。人形峠のウラン残土訴訟で住民側に立ち、地裁・高裁あわせて8通の意見書を提出。著書に『放射能汚染の現実を超えて』『原子力と共存できるか』『人形峠ウラン鉱害裁判』『隠される原子力=核の真実』『原発のウソ』共訳書に『人間と放射線』など。

1. はじめに

3月11日以降、あちこちの集会に行きますが、私には想像もできないくらい多くの方が来てくださるようになりました。もちろん今日お集まりの皆さんも、3月11日に福島原子力発電所の事故が起きてしまったということでこの問題に気が付いてくださったんだと思います。半分うれしいですが、半分悲しく思います。

福島現地では、なんとも言葉に尽くせないほどの悲惨なことが起きています。戦争に匹敵するようなことだと私は思っていますし、こんな事態を防ぐことができなかったことを本当に無念に思っています。そして原子力という場にいた、そして今でもいる人間の一人として、こういう事故を防げなかったことを本当に申し訳ないと思っております。

昨年、私はこの反核医師の会と医療九条の会の集まりに呼んでいただき、「核・原子力問題の真実」というタイトルで話をさせていただきました。今年はそのパート2ということでしたので、昨年はお伝えできなかったことを中心に、福島の原子力発電所の事故を聞いていただこう、特に被曝というのはいったい何なのかということを皆さんにお伝えしたいと思います。

2. 生き物の不思議(DNA複製は神業)

生き物というものですが、とっても不思議なものだと私は思います。私たち一人ひとりの人間は、あるとき父親の精子と母親の卵子が合体して生まれます。今日では万能細胞と呼ばれているたった1つの細胞がその時にできるのですね。その細胞が細胞分裂という現象を起こして2つのまったく同じ細胞になります。それがまた細胞分裂をして4つになる。そして細胞分裂をして8つになるということをしながら、私もそうですし、この会場にお集まりになっている成人の皆さんは、約60兆個の細胞でできているのだそうです。それはすべて同じ遺伝情報をもった細胞です。私なら私、皆さんなら皆さん全部、60兆個の細胞は同じ遺伝情報をもっている。

でもそれでも不思議なことに、細胞分裂を繰り返しているある時点から、例えば手の皮膚になる細胞は皮膚になる。血液になる細胞は血液になる。骨になる細胞は骨になる。どんどん役割分担をはっきりとさせていって私たちのような生き物になるのですね。どうしたらそんなことができるのか、私には想像もできないほど命というのは不思議だと思います。

その時に一番大切なのは、遺伝情報を正確に伝えていくということです。遺伝情報というのはDNAと呼ばれている化学物質に書き込まれているわけですけれども、それをとにかく正確に細胞分裂をしながら伝えていくということが一番大切なことなわけです。

DNAというのはどんな形になっているかというと、細胞の中に核があって、そこに染色体と呼ばれているものがある。その染色体は、この図のようにX字型になったもので、その1本1本はDNAという分子が2重に、2本のDNAがよじれながら、染色体を形作っているというのですね。

図1 DNAの2重らせん構造

図1 DNAの2重らせん構造

これ(図1)がDNAの2本の鎖ですけれども、その鎖が細胞分裂をする時にはどんどん分かれていって、相手側のDNAを自分で複製しながら、もともと1本だったものを2本にしていくというのです。

人間がつくる化学工場ではどんなにがんばってもこんな精密な作業はできないと思いますが、私たちの体の中の1つひとつの細胞がみんなこれをやりながら、命を支えるということをやっているわけです。

DNAというのは、いま見ていただいたように2重の螺旋になっています。分子の幅が2ナノメートル。ナノというのは、10のマイナス9乗(10億分の1)という、とてつもなく小さな単位です。細いんですね、目にも見えないような細い分子なわけです。その2本の螺旋になっているDNAの分子をずうっと伸ばしていくと全体で1.8mになるんだそうです。いったいどのくらいなのかということを皆さん想像してほしいのです。

例えば0.2mmという細い糸、それが2本でよじれてできている糸を想像してください。本当のDNAであれば、太さが2ナノメートルで長さが1.8mですけれど、太さ0.2mmの糸だとすると、それはどのくらいの長さになると思いますか。

図2 DNAが太さ0.2mmの糸だったら

図2 DNAが太さ0.2mmの糸だったら

これは北海道です(図2)。いま私たちは札幌にいます。札幌で使う大量の電気は泊というところで発電して札幌まで送ってきています。たぶん80kmぐらいは離れているのではないでしょうか。

では先ほどのDNAですけれども、細い糸をずうっと伸ばしていったらどのくらいになるかというと、180kmです。北海道のほとんど、そして青森までが入ってしまうという、そのぐらいのはるかな距離というところまで、皆さんが裁縫に使う糸を伸ばすということを考えてください。裁縫の糸をほどきながら、まったく同じ2本の糸を再生していくというのです。本当にこれはもう人間業ではないですね。

私は宗教心はまったく持っていませんし、神というものも信じませんけど、まさに神業と呼びたくなるような神秘的なことをやっている。そしてそれができることによって初めて私たちの命というものが成り立っているわけです。

3. X線の発見

その私たちが生きている世界の中で、人間が放射線というものを取り扱うようになりました。初めに放射線を見つけたのはドイツのレントゲンという物理学者です。とても基礎的な物理学の実験をある日、レントゲンがしていました。陰極線管というテレビのブラウン管のようなものの実験をしていた。そして彼が実験室で実験をすると、隣の部屋で何か不思議な光が発するということに気が付きました。何かおかしな現象が起きているということでその不思議な光をX線と名付けました。要するに正体不明の光が出ていると名付けたのです。

その後、世界中の学者がX線は何かということを調べるための研究を始めました。有名な人の中にはキュリー夫妻たちもいました。ピエールとマリーです。本当に頭のいい学者たちです。そういう頭のいい人たちがX線って何だ、放射線って何だということで研究を始めました。

しかし如何せん彼らは放射線が何かを知らなかったのです。どれだけ危険かということも知りませんでした。その中で正体を突き止めようとして研究を続けて、ピエールは体がボロボロになって、ある日、よろよろっと道路に倒れるように出ていって、馬車に轢かれて死んでしまいました。マリーも白血病になって死んでしまいました。

レントゲンがX線を発見したのは1895年です。いまから116年前ですね。直後からピエールもマリーも研究を始めました。そのころはたくさんの人たちが放射線に被曝をしながら命を落とすというふうなことになっていきました。

そして百数十年の歴史の中でようやくにして放射線というのは危ないんだ、被曝をすると死んでしまうということが分かってきたわけです。

4. 被曝量と急性死亡確率

放射線に被曝をすると、どのくらいの人が死ぬかということを、過去約120年の歴史の中で私たちが理解してきたことを、(図3)に示します。

図3 被曝による急性死亡確率

図3 被曝による急性死亡確率

左の方に2から8まで数字がふってあって、赤い帯が立っているのを分かっていただけると思います。下の方は幅が狭く、だんだん幅が広くなっていって、8というところで一番太くなっている。この数字は全身にどれだけ被曝をしたかという被曝量です。被曝量の一番基本的な単位はグレイ(以下Gy)です。皆さんはシーベルト(以下Sv)という単位を最近よく聞くと思いますが、基本的に同じと思っていただいて結構です。Gyという単位が被曝の単位です。2Gyの被曝をした、4した、8したという全身の被曝線量が左の数字です。上の方に0、50、100と書いてあるのは急性死亡確率(%)です。

つまりこの図は,こういう意味です。2Gyという被曝をすると、帯が初めて出てくるわけですが、死ぬ人が出始める被曝量です。2Svでもいいですが、そのぐらいの被曝をすると、ほとんどの人はまだ死なないんだけれども、死ぬ人が出てくるというのが2Gyです。そして4Gyという被曝をすると、半分の人は死んでしまう。それを私たちは「半致死線量」と呼んでいます。そして8Gyという被曝をすると、ほぼ100%の人が死ぬということが分かってきたわけです。

5. 東海村での臨界事故

そしてこのことを確認する出来事が日本で起こりました。1999年9月30日ですが、茨城県東海村の核燃料加工工場JCOで、「臨界事故」という事故が起こりました。

図4 臨界になった時の作業

図4 臨界になった時の作業

いったいその日、何をしていたかというと、真ん中にかなり大きな容器がありますが、その容器をはさんで2人の労働者が仕事をしていました(図4)。右側に立っているのが大内さんという人です。大内さんはこの容器の上に開いてる穴にジョウゴを差し込んで支えていました。ハシゴをのぼって上にいる人は篠原さんという人ですが、その篠原さんはステンレス製の容器の中に溶かしたウランを大内さんが支えるジョウゴを通して、この大きな容器の中に流し込むという作業をしていました。

この作業は前日の29日から始まりました。ステンレス製の容器に溶かした合計7杯のウランの溶液を2日かけて中央の比較的大きな容器に移すという仕事をしていて、29日のうちに4杯分を流し込みました。何も起こりませんでした。夕方になって「ごくろうさま」と、多分お互いに言い合って仕事を終えて、それぞれみんな家に帰ったのだと思います。

そして30日の朝になって、大内さんと篠原さんはまた出勤しました。そして残っている3杯分のウラン溶液を大きな容器に移すという作業を始めました。1杯入れても何も起こりませんでした。2杯目を入れても何も起こりませんでした。最後の1杯、3杯目を入れてそれが入れ終わった時に、突然ウランが核分裂の連鎖反応を始めるという現象が起こりました。

核分裂の連鎖反応が始まるということを私たちは「臨界」という言葉で呼んでいます。突然それが起きてしまったので、「臨界事故」と呼んでいるわけです。突然、ウランが核分裂を始めて膨大な放射線が出てきたがために、大内さんも篠原さんもその場で被曝をして、倒れました。

すぐに消防車が彼らを助けに来ました。数分のうちに彼らを現場から担ぎ出しました。そして救急車が国立水戸病院という茨城県内では屈指の大病院に2人を運びました。しかし国立水戸病院は、被曝している人間の治療はいやだということで彼らの治療を拒否しました。

そのため、彼らはヘリコプターに乗せられて、千葉市にある放射線医学総合研究所(以下、放医研)という放射線治療の専門機関の病院に運ばれました。そこで大内さんと篠原さんがいったいどれだけの被曝をしたのかということをまず測りました。血液の中にどれだけの放射性物質ができているか、あるいは染色体の異常が起きているか、体の中にどういう放射性物質ができているかということを詳細に調べました。

私は先ほど、100%人が死ぬ被曝量というのは8Gyだと申しました。これは過去100年を越える放射線取り扱いの歴史の中で苦い経験を積み重ねながら科学が解き明かしてきた真実なのです。残念だけれどもそういうものなのだということを人間は知っていたわけです。

では、JCOの事故で大内さんと篠原さんはどれだけの被曝をしていたかというと、大内さんは18Gy、篠原さんは10Gyの被曝をしているということが分かりました。これはどうやっても助けられないのです。そのことが分かった時に放医研は彼らの治療を拒否しました。これは自分たちがどんなにがんばったところで彼らを助けることができないと。放医研という研究所の病院、被曝に関して一番よく知っている病院の結論がそうだったのです。そしてどうしたかというと、それなら日本の医学界総出で彼らを助けてみようということになりました。そして2人は東大病院に送られました。

6. 1グレイ(Gy)の定義

ここでひとつ説明しておかなければいけないことがあります。Gyという単位ですね。私は先ほど放射線の被曝の単位はGyだといいました。Gyとは何かというと、非常に単純に定義されています。1kgの物質が1ジュールのエネルギーを吸収した時の被曝量を1Gyと決めたと。これ以上単純にできないぐらいに単純に決められています。

要するに私なら私というこの体が放射線を被曝することによってどれだけのエネルギーを受けたのかという、それだけのことなんです、被曝というのは。放射線というのはエネルギーの固まりですけれども、そのエネルギーの固まりが私なら私の体にいったいどれだけエネルギーを加えたのかということですべてが決まる。

皆さん、ジュールという単位はなじみがないかもしれません。ジュールというのは0.24カロリーです。カロリー(以下cal)というのは皆さんよくお分かりですね。1gの水の温度を1度上げるのが1calです。もし水が1kgあれば、1cal加えても千分の1度しか温度が上がらないとものです。でもジュールとはcalよりもっと小さなエネルギー単位で、0.24calしかない。

では、1Gyという被曝をした時に、いったいどんなことが起きるかというと、もし被曝する物質が水であれば、その水の温度は1万分の2度上がる、それだけです。測ることもできないほどほんのわずかなエネルギーを吸収するというのが1Gyという被曝量なのです。

7. 「朽ちていった命」

図5 被曝直後は大きな変化がなかった手

図5 被曝直後は大きな変化がなかった手

図6 1ヵ月後には皮膚がぼろぼろになった

図6 1ヵ月後には皮膚がぼろぼろになった

これは放医研で治療を拒否されて東大病院に担ぎ込まれた時の大内さんの右手です(図5)。ちょっと赤くはれぼったくなっていますね。

皆さんも海水浴に行って日焼けをすれば、赤くなっちゃったということはあるでしょう。焼き過ぎれば黒くなるだろうし、火ぶくれになることだってあるでしょう。でも日焼けの場合には、そのうち表面の皮膚がボロボロになって、こすっていれば落ちていって、下からまた新しい皮膚が出てきてくれます。それが普通の日焼けですね。人間は日焼けしたって死にません。ちょっと手がはれぼったくなるぐらいやけどしてもなんでもないというのが人間なのですが、この大内さんの手は、放射線で被曝をしているのですね。

放射線で被曝をするということはどういうことか。皆さんが例えば病院に行く。X線撮影を受ける。例えば私がX線の撮影機の前に立つんですね。装置の前に立って、胸を付けてということになって、息を吸って、止めて、バシャっといって撮影するわけですね。その時に私の胸の前にあるのは写真の乾板です。フィルムです。

X線は背中の後ろの方から私に向けて照射されます。そのX線が私の背中の皮を貫いて、肉を貫いて、骨で一部止まって、そしてまた肉を貫いて、胸の前の皮膚を貫いて写真のフィルムに印画するということになっているわけですから、X線自身は私の体を背中から胸の前まで全部貫いているということになるわけです。

大内さんのこの手の場合もそうです。放射線が飛び出してきて、この表面の皮膚も放射線で赤くやけどをしているわけですし、この表面の皮膚のすぐ下の組織だってやけどをしているのです。その下の肉もやけどをしている。骨もやけどをしている。裏側の肉も、裏側の皮膚も、みんなやけどをしているということになるんですね。

もしこの表面の皮膚が被曝をしたことによって機能を失う、死んでしまうということになる場合には、普通の日焼けなら下の組織が皮膚になって再生してくれる。それが私たちの命という不思議なものなわけですけれど、放射線の場合には下の組織も被曝をしてしまっている。結局どうなったかというと、大内さんの手はこうなりました(図6)。

こうなったのは表面の皮膚だけではありません。大内さんの胃だって腸だって、みんな焼けただれているわけです。どんどん下血をする。下痢をするということになったわけですし、体の表面は手だけではなくて、体中がこのように焼けただれてしまったわけです。

大内さんは包帯でぐるぐる巻きにされて、その包帯が毎日染み出してくる体液でぐじゅぐじゅになってしまうわけですね。医者と看護師が何人もかかって、この包帯を何時間もかけて毎日取り替えるという作業をしたそうです。その時に大内さんは天文学的な量の鎮痛剤(麻薬)を与えられていたといわれています。でもその大内さんがこの包帯を取り替えられる時には苦痛で顔を歪めるというほどであったそうです。

この写真は、NHK取材班、「被曝治療83日間の記録」という岩波書店の本からとってきたものです。この本は今はもう絶版で、手に入りませんが、「朽ちていった命」とタイトルを変えて新潮文庫から再刊されています。読むのもつらい本です。でも大変価値ある本だと思います。いずれにしても大内さんはこういう姿になって、83日間は生き延びました。というか、生き延びさせられました。そして結局死んでしまうということになったし、篠原さんもやっぱり助かりませんでした。

8. X線のエネルギーは分子結合エネルギーの何万倍

図7 被曝で体温はどれだけ上昇するか

図7 被曝で体温はどれだけ上昇するか

図7)は先ほど見ていただいた、どれだけ被曝をしたらどれだけの可能性で死ぬかというものです。2Gyで人が死に始め、4Gyで2人に1人が死ぬといったわけですが、ではこの4Gyの被曝をした時に、被曝をした人の体温はどのくらい上がるのかというと、千分の1度です。

私はときどき風邪を引きます。皆さんも多分そうだと思います。そのため皆さんの家庭には体温計があって体温を測る。普通の体温は35度だ36度だという人がほとんどだと思いますが、病気になってそれが37度になっちゃった、いやあ大変だ、38度になっちゃったということは時々あるだろうと思います。

でもそんなことでは人間は死なないんですね。ちゃんとまた生き延びる機能をもったのが人間という生き物なわけですが、こと放射線からエネルギーを与えられる場合には、千分の1度も体温が上昇してしまうと、2人に1人は死んでしまう。体温が千分の2度上がれば全員死んでしまう。体温計などではとうてい測れないほどの本当にわずかな温度だけ体温が上がると、もう人間は死んでしまうということになるわけです。先ほど聞いていただいたように、大内さんは18Gy、篠原さんは10Gyという被曝をしていたわけですが、あんな悲惨な死を遂げた大内さん、篠原さんの体温はいったい被曝で何度上がったのかといえば、せいぜい千分の数度です。それしか上がらなかったのに人間は死んでしまうということになるわけです。

なぜそんなことになるかといえば、私は今日、生き物というのは大変不思議なものだ、すべての遺伝情報がDNAというものの中に書き込まれて、それが正確に複製されることでようやく私たちの命が生きているということを聞いていただきました。そのDNAという分子が2重の螺旋をつくって、お互いに手をつなぎあう時のエネルギーの大きさは、数エレクトンボルト(以下eV)です。これは、普通の皆さんが使うことは決してない、私のような非常に特殊な人間だけが使うエネルギーの単位で、とてつもなく小さなエネルギーです。本当に小さなエネルギーで私たち生き物は遺伝情報を守って生きているわけです。

では放射線のエネルギーはどういうエネルギーなのかというと、皆さんが病院で受けるX線のエネルギーというのは約100keVです。つまり100keVというのは10万eVという意味です。私なら私の遺伝情報を書き込んでいる生命体としてのエネルギーに比べれば、何万倍も高いというエネルギーの固まりが、私がX線撮影を受ける時に私の背中から胸まで貫き通して写真フィルムに印画するということをやっているわけです。

今日の主催者はお医者さんたちです。お医者さんたちからみると、X線は大変便利です。私はいま皆さんからみるとこういう姿をしています。可視光線でみると、こういう姿です。しかし、私の体をX線でみれば、骨が写ったりするわけですね。肺のあそこに癌があるぞとか、あいつ結核じゃないかとか、みんな分かるわけです。

最近はCTなんていうX線の高度な技術が開発されて、本当に何ミリの大きさの癌が肺のどの部分にあるぞとか、心臓の血管がどっか詰まっているぞとかいうことまで見えるようになりました。お医者さんにとっては大変便利で、お医者さんはX線あるいは放射線というものを使いたがります。

でもその時には、必ず患者の方は被曝をさせられているわけです。確かにメリットはあるけれども、それによって患者は被曝をして一部の遺伝情報は傷を受けているということが避けられずに起きているわけです。ですからお医者さんに対しては私は慎重に使ってほしいとお願いしたいと思うし、患者の皆さんに対しても、本当にその撮影というものが必要なのかどうなのかということをお医者さんに問いながら治療を自分で選択するということをやってほしいと思います。

9. 被曝のリスクに「しきい値」はない

これから福島の事故のことをお話しますが、壊れた福島の原子力発電所の炉心の中からたくさんの種類の放射性物質が吹き出してきて、もう既に地球上すべてを汚しています。北海道の方はかなり離れているのでまだ安心しているかもしれませんけれども、北海道にももちろん福島から放射能が飛んで来ているわけです。

私は大阪の南端に住んでいますが、そこにも九州にも沖縄にも放射能は飛んで行っている。米国にもヨーロッパにも福島からの放射能が飛んで行っているのです。その代表的な放射性物質がセシウムというもので、地球がすべてこの放射能で汚れてしまって私たちはもういやおうなくこれから被曝をしなければいけないという世界に入ってしまったわけです。

私がこういう話をすると、原子力を進めてきた人たちは何というかというと、「被曝量が少なければ安全だ、たいした危険なんかないよ」というんですね。でもそれは間違いなのです。人類は放射線というものを発見して今日に至るまでたくさんの悲劇がありましたし、広島・長崎の原爆被爆者という人たちも生み出されてしまって、そういう人たちがどういう健康被害を受けるかということを何十年にもわたって世界は研究してきたのです。

その研究をしてきた組織の1つにBEIRという組織があります。米国科学アカデミーの中にある委員会で、電離放射線の生体影響に関する諮問委員会です。その委員会が2004年に7番目の報告を出しました。その報告にはこう書いてあります。

「利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない」と。しきい(閾)値というのはこれ以下なら安全だという値です。でもそんなものはないと。被曝というものはどんなに微量であっても危険なんだということが今日の学問の到達点なのです。

表1 被曝の危険度

表1 被曝の危険度

では一体どのくらいのリスク、危険があるのかというと、このぐらいです(表1)左の方にはICRP、BEIR、それからGofmanと書きましたが、ICRPというのは国際放射線防護委員会といって、日本の法律などが依拠している国際組織です。BEIRというのは米国の科学アカデミー、Gofmanというのは私が一番信頼している米国の放射線影響学者です。いろんな組織・学者が放射線の危険性を評価してきたわけですが、それぞれ値が少しずつ違っています。

BEIRの先ほどの報告に、「被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け」と書いてありましたが、直線的に存在し続けることを認めるモデルがLNT(Linear Non Threshold=直線・しきい値なし)仮説モデルなのですが、それにしたがってそれぞれの組織がどれだけの危険があると認めたかという数字が書いてあります。

1、2、4という数字ですが、これは「10人・Sv当たりの癌死数」です。この10人・Svというのはどういう単位かというと、1Svの被曝をした人が10人集まれば、合計の被曝量が10人・Svということになる、そういう被曝量を表す単位です。

日本の皆さんは、1年間に1mSv以上の被曝をしてはいけないといって法律で定められているのですね。ですからもし皆さんが1年間に1mSvという被曝しかしなかったとすれば、そういう方々が1万人集まると初めて10人・Svになります。1万人のうち、1人が癌で死ぬ、あるいは2人だ、4人だというぐらいが日本の法律が認めている危険度なのです。ですから1年間に1mSvの被曝というのは安全量ではありません。日本というこの国で生きるかぎりは1万人に1人が死ぬ、あるいは4人が死ぬというぐらいのことはもうあきらめるしかないとして決められているのが法律なのです。

そのうえで、ここに数字を出したのは、ごくごく平均的な人間という意味で全年齢の人間を平均した危険度です。ところが人間というのはそうはいかない。平均的な人間なんていうのはいないのですね。

10. 被曝のリスクは年齢に依存する

大切なことは、細胞分裂をたくさんしている子どものころに放射線に被曝をしてしまうと、遺伝情報が狂わされて、それがどんどん複製されていってしまうことで危険が大きくということです。

図8 放射線ガン死の年齢依存性

図8 放射線ガン死の年齢依存性

今ここで年齢ごとの被曝の危険度を帯の高さで示そうと思います(図8)。まず真ん中に書きました30歳の年齢の方、こういう人は1万人・Sv当たりの被曝をすると、3855人が癌で死ぬ。これは私が信頼しているGofmanさんの評価です。そして30歳の人がいちおう全年齢の平均の危険度にほぼ等しい危険度をもっている。

そして、年を取っていくと細胞分裂をしなくなるため、人間は放射線にどんどん鈍感になっていきます。どのぐらい鈍感になるかというとこんなんです(笑い、ざわめき)。50歳、55歳にもなったような人たち。この会場にもたくさんいらっしゃいますけど、もう放射線に被曝をしても、ほとんど癌で死ぬというようなリスクは負わないでも済むのです。

逆に年が若ければ、癌で死ぬ可能性はどんどん高くなります。ゼロ歳の赤ん坊は平均的な被曝の危険度に比べれば4倍も5倍も危険というほど、赤ん坊というのは敏感なのです。ですから被曝が避けられないなら、赤ん坊を守るということをやらなければいけない。

11. 原発事故を許した責任は

今これから聞いていただく福島の原子力発電所の事故を許した責任、いったい誰にあるのかといえば、私のような年代の世代です。そういう年代が、「電気がほしいよ、原子力がほしいよ」といって、原子力をここまでやってきた。私は「やめろ」とは言い続けたけれども、やめさせることができなかった人間です。そういう人間に責任があるのです。

そういう人間はもうほとんど被曝の危険もないのですから、これから変わってしまった世界の中で私たちがどう生きるべきかといえば、大人たちは責任を取って被曝を受ける。そして子どもたちを守るということをどうしてもやらなければいけないと私は思っています。

でも、この日本という国は、原子力を何としてもやるといってきたんですね。そして実は私もそう思った人間なんです。原子力をどうしてもやりたいと私は信じて、工学部の原子核工学科に進んだ人間です。なんで私がそう思ったかというと、こうだったからです。

「さて原子力を潜在電力として考えると、まったくとてつもないものである。しかも石炭などの資源が今後、地球上から次第に少なくなっていくことを思えば、このエネルギーのもつ威力は人類生存に不可欠なものといってよいだろう」(1955年12月31日、東京新聞)というんですね。私はこれを心底信じたんです。化石燃料がなくなっちゃうから人類の未来は原子力だと信じてこの道に踏み込みました。今日この会場にいらっしゃる方々も、多くの方がまだこのことを信じていると思います。でもこれはウソです。

今日このことをきちっと立証する時間はありませんけれども、原子力の燃料であるウランなど化石燃料に比べてもはるかに小さな資源でしかありません。原子力が未来のエネルギー源になるなんてことは決してありません。

この新聞記事には後半があります。例えばこんなふうに書いてあります。「電気料は二千分の一になる」。なってないですよね。次はこんなです。「原子力発電には火力発電のように大工場を必要としない。大煙突も貯炭場もいらない。また毎日石炭を運びこみ、たきがらを捨てるための鉄道もトラックもいらない。密閉式のガスタービンが利用できれば、ボイラーの水すらいらないのである。もちろん山間へき地を選ぶこともない。ビルディングの地下室が発電所ということになる」というんですね。これ全部間違いというのは分かっていただけると思います。

12. 原発もお湯を沸かして発電

図9 原子力発電も火力発電も湯沸し装置

図9 原子力発電も火力発電も湯沸し装置

原子力発電というのは何かとてつもなく難しいことをやっていると思われるかもしれませんが、そんなことはありません。やっていることはお湯を沸かすというただそれだけです(図9)。左下の火力発電所では、パイプの中に水を流し、外側から石油、石炭、天然ガスを燃やして水を沸騰させます。沸騰した水が蒸気となって飛び出して来てタービンという羽根車を回してそれにつながっている発電機で電気を起こす。これが火力発電所です。

原子力発電所というのは左上に書きました。真ん中にまゆのようなものが立っていますが、これが原子炉圧力容器と呼んでいるものです。直径が6mから7m。高さが20mもあるという巨大な鋼鉄製の容器です。電車を縦にしたぐらいの大きさのものだと思ってください。その真ん中に炉心という部分があってウランが入っています。そこでウランを核分裂させて、出てきたエネルギーで水を沸騰させて蒸気にしてタービンを回して発電するというそれだけです。

つまり水を沸騰させて出てきた蒸気の力で電気を起こさせるということで、いってみれば200年前の産業革命の時に発明された技術、それを今でも使っているというだけのものなのです。

13. 原発を都会から追い出したわけ

でもなぜこの原子力発電所が都会に建てられないか。札幌に建てられないで泊に建てたかといえば、ここで燃やしているものがウランだからです。ウランを燃やせば核分裂生成物という放射能ができてしまうからです。それもとてつもない量ができます。

図10 厖大に生み出される放射能

図10 厖大に生み出される放射能

このスライド(図10)の左下に私は小さな四角を書きました。これは広島の原爆が爆発した時に核分裂したウランの重量=800gです。皆さん手で持てるぐらいのウランが核分裂したがために、広島の街はなくなってしまった。

では私たちが今使っている原子力発電所が1基1年間運転すると、どれだけのウランを核分裂させるかというと、1トンです。広島の原爆が核分裂させたウランに比べれば、優に千倍を超えるウランを核分裂させます。核分裂させてできるものは核分裂生成物という放射能です。どうにもならずにこれだけのものができてしまうという、それが原子力発電なのです。

その恐ろしさは、もちろん原子力を推進している人たちも知っています。そのため彼らは何をしたかというと、原子力発電所は都会に建てないことにしたわけです。そのために彼らは法律も整備しました。原子力発電所を建てる時には安全審査をすると。そして安全だと認めたものを建てさせるというわけですけど、その審査の基準は次のようになっているのです。

「原子炉の周囲は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること。原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること」。さらに念を押して、「原子炉敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」。つまり札幌には建ててはいけないと。東京にも大阪にも原子力発電所は建ててはいけないと、初めから決めていたんです。

図10 厖大に生み出される放射能

図11 東京電力は自分の給電範囲から原発を追い出した(東京電力の冊子より)

今回事故を起こした福島の原子力発電所は、東京電力の原子力発電所です(図11)。ここが東京で、この部分が東京電力が電気を供給している範囲です。東京湾にはたくさんの火力発電所が林立しています。飛行機で羽田に降りようと思ったら周りじゅう火力発電所が並んでいるのが分かると思います。

では、今回事故を起こした福島の原子力発電所はどこにあるかというと、ここです。東京電力とは何の関係もない東北地方に原子力発電所を建てて、長い送電線を敷いて東京に電力を送るということをやったわけです。

東京電力はもう1つ原子力発電所をもっています。新潟県の柏崎刈羽原子力発電所。世界最大の原子力発電所です。これも東京電力とは関係ないところに建てて、長い送電線で東京に電気を送っているのです。

いま東京電力がもう1つ原子力発電所を建てようとしています。どこでしょうか。青森県の東通村です。下北半島の最北端に原子力発電所を建てて東京に電気を送る、こんなことをどうして日本という国が許してきたかと、本当に残念です。

14. 原発事故で変わってしまった世界

ここから福島の事故の話をします。3月11日を境に、私から見るともう世界は変わってしまいました。今までの世界とは全然違う世界で私たちは生きなければいけないということになりました。

図12 事故後の福島第一原子力発電所

図12 事故後の福島第一原子力発電所

これが福島の第一原発です(図12)。皆さんも何度も見られたと思いますが、縦に原子炉が並んでいて、上から1号炉、ボロボロですね。2号炉はまだいくらか形が残っている。3号炉も4号炉もボロボロという状態です。

こんなふうに吹き飛んでしまうなんていうことは、原子力に携わってきた人間、私も含めて誰ひとりとして思ってもいなかった。

図13 建屋内からみた状態

図13 建屋内からみた状態

建屋の中から見ると、こんなです(図13)。ドアもなければ窓もない。みんな吹き飛んでしまってがれきだらけという状態になりました。

こうなったのは、原子力発電所の中の電源がすべて途絶えてしまったということが原因です。原子力発電所というのは本当は自分で発電できるわけですけれども、地震が起きたために原子炉を停止して、自分で発電することはできなくなりました。その場合のために外部から送電線で外から電気をもらうことができるという建前になっていた。しかし外部の送電線は地震でひっくり返ってしまって外部からの電源も途絶えました。

そういうこともあるだろうと思って、実は非常用のディーゼル発電機を用意していたと、東京電力はいうのですが、そのディーゼル発電機は津波によって流されてしまって、一切の電源を奪われてしまった。そのため原子炉を冷やすことができずに、こんな形になってしまったというわけです。

電源がないのですから、事故の収束に当たる作業員たちは懐中電灯をもって走り回りました。真っ暗闇の中を、放射能が飛び散る中を、懐中電灯をもって事故を収束させようと苦闘しました。今は電源の一部は復旧しましたが、放射線のものすごい被曝環境の中で苦闘を続けているわけです。

苦闘を続けているのは発電所員だけではありません。周辺は今ものすごい汚染です。当初日本の国は事故をなるべく小さく見せようとしました。初めは周辺3kmの人たちに避難の指示を出しました。その指示の時も、この指示は万が一のことを考えての指示だと、まあじきに帰れるだろうからちょっと避難しなさいというニュアンスで避難指示を出しました。ところがすぐに、半径10kmの人は避難しなさいと指示を出しました。その時も万一のことを考えての措置なんだといいながら、その指示を出しました。

ところがしばらくすると、今度は20kmの人に避難指示を出しました。万一のことを考えての指示だといったのです。しばらくしたら今度は30kmの人たちは「自主避難をしろ」といいだしました。いったい自主避難なんて皆さんできるんでしょうか。国が避難を指示して、バスを手当して、避難所を手当して住民を逃がすのであればまだ住民は逃げられるでしょうけど、「自主避難しろ」なんていわれたって逃げるところは多分ないだろうと思います。

でもそれでも結局、汚染ははるかかなたまで及んで、今は計画避難とかいうことで、50-60kmも離れた村々までが人々を追い出さなければいけないというほどの被害を受けています。

図14 エサをやりに戻ってきた酪農家

図14 エサをやりに戻ってきた酪農家

この写真(図14)。は酪農家ですけれども、避難をしろといわれて避難をした。それでも自分が育てている牛は自分の家族なんだ、連れてはいかれなかったけれども家族が汚染地帯に取り残されているということで、放射能の防護服を着てエサをやりに戻ってきていたという酪農家たちがいるわけです。それもできずに、囲われたまま死んでいった牛たちもたくさんいます。死んでいったのはもちろん牛だけではない。馬だって汚染のただ中で死んでいくしかないということになったわけです。つい何日か前には、酪農家の方が、「原発さえなかったら」とチョークで書き置きを残して自殺されたそうですけれども、なんとも言葉で尽くせない悲劇というのが今起きているわけです。

図15 双葉町にある看板と残された犬

図15 双葉町にある看板と残された犬

これは事故を起こした福島原子力発電所が立地している双葉町です(図15)。双葉町には「原子力正しい理解で豊かなくらし」という巨大な看板が出ています。「原子力が危ない」なんていう奴がいるけれども、そんなのは無知蒙昧な奴らだと。正しく理解すれば原子力発電所は安全だし、それを建てさせればいくらでも金が来るから豊かなくらしだといっていたんですね。その町がいまや無人となって犬たちが取り残されて、そこで生きているという状態です。

15. 放射能汚染の実態

いったいどの時点でどれだけの放射能が出たのかということはいまだによく分からない点がありますが、基本的には私はこうだと思います。

図16 事故後の空間線量率の変化(サイト)

図16 事故後の空間線量率の変化(サイト)

事故の初期、事故が起きた3月11日から4月3日までに、原子力発電所の周辺でどういう放射線量が観測されたかというデータをここに描いてあります(図16)。つまり、事故の初期に大量の放射能が外に出てきて、出るたびに放射線量の値が高くなっていく。それが3月下旬位からはずっと収まってきている。つまり大量の放射能が出て、それがいま放射性物質自身の寿命によって少しずつ減ってきてくれている。

図17 SPEEDIによる甲状腺被ばく評価

図17 SPEEDI*による甲状腺被ばく評価

では大量に出た放射能がどっちへ流れたかというと、こういう方向に流れたんだそうです。これは政府がひと月以上経ってから公表した地図ですけれど、原子力発電所から吹き出してきた放射能は南西の方角と北西の方角へ流れたといっているんですね(図17)。

これは甲状腺がどのぐらいの被曝をしたかというので、被曝量ごとに線が書いてあります。一番ひどいところは1万mSvの被曝をしている。その次が5000、1000、500、100というふうに地図が描けるように放射能が流れたといっています。

500mSvというような被曝をする時には、特に子どもたちに対しては、ヨード剤というものを飲ませなければいけないといっていたわけです。子どもたちにヨード剤を与えることはできたわけですけれども、日本の国はこのデータを一切秘密にしたのです。そして子どもたちも含めてみんな被曝をした後で、このデータを公表した。つまりもう手遅れだった。

(* System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information: 緊急時環境線量情報予測システム)

表2 環境に放出された放射能量

表2 環境に放出された放射能量

いったい環境にどれだけの放射能が出てきたのかということはいまだによく分かっていませんが、1986年4月26日に、今日まででは最大とされているチェルノブイリ原子力発電所の事故というのが起こりました。その時に放出された放射能は、この一番右下を読んでいただきたいのですが、520万テラベクレル(以下TBq)という推定になっています(表2)。

日本の原子力安全・保安院あるいは安全委員会というのがそれぞれ推定を出していたのですが、保安院のこの37万TBqというのは、つい最近になって77万TBqと訂正。さらに発電所の敷地の中に汚染水というのが、いま11万トンもあふれてしまっている。その中には100万TBqぐらいの放射能が含まれている。そしてそれがまだどんどん増えていっているという状態なのです。ですからたぶん福島の原子力発電所の事故では100万TBqというのを超えて、いったいどこまで増えていってしまうのか分からないという、それだけのひどい事故になっているわけです。

図18 福島第一原発から80km圏内のセシウムの地表面への蓄積量

図18 福島第一原発から80km圏内のセシウムの地表面への蓄積量

これが政府が公表した汚染地図です(図18)。先ほどの甲状腺の被曝量と同じように、南西方向と北西方向に放射能が流れたということが歴然と分かります。そして放射能の汚染の濃度の割合が色別になっているのですけれど、例えば水色のところがありますが、この範囲ぐらいは、チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きた時に強制避難させられた地域です。人々をその場所から追い出して、もう二度とその場所に帰れなくしたというのが、こういう範囲で広がっているというのです。

それを適用すれば琵琶湖の2倍ほどの面積を無人地帯にしなければいけません。でも先ほど申し上げたように、日本で住む人間は1年間で1mSv以上の被曝をしてはいけないという法律があるのです。それすら安全を保障しているわけではないけれども、それぐらいは我慢しろといって決めた法律がある。その法律を厳密に適用しようとすると、この色を塗っている範囲は少なくとも全部無人にしなければいけないのです。

福島県全域に匹敵するようなところ、一部は宮城県、一部は茨城県というようなところまでも無人地帯にしなければいけないというほどの汚染が既に生じてしまっています。こういうところから出てくる農産物、海産物は、これから汚染を引きずりながら何十年も続くということになります。

私は、被曝というのは大変恐ろしいと今日皆さんに聞いていただいて、何としても被曝を避けてほしいと願います。誰も被曝をしてほしいとは私は思いません。ですから、汚染の強いところからはすべての人に逃げてほしいと願います。

しかし逃げるということはどういうことかということも考えてほしいのです。長い歴史をその場所で刻んできた。農業をやってる人、酪農をやってる人、その土地と結び付いて生きてきた人たちなんです。そういう人たちが避難をする、土地を離れるということは、生活が崩壊してしまうことを意味する。どっちにしても苦しい選択です。被曝を受け入れるということも苦しい。でも被曝がいやだからといって避難をすれば生活が崩壊してしまう。

16. 「容認できるレベル」は誰が決める?

表3 基準と予想されるガン死の発生率

表3 基準と予想されるガン死の発生率
(原子力推進派の危険度を使うなら、被害は4分の1になる)

これからどうすればいいか、どのくらい危険かということを申し上げます(表3)。平常時というのは、日本の法律ですね、一般の人々は1年間に1mSvの被曝しかしてはいけないと決められていて、そうすると1万人に4人癌死するというのがGofmanの評価で、逆にいうと、言い方を変えると2500人に1人が癌で死ぬというぐらいは我慢しろといっているのが日本の法律なんですね。

私は京都大学原子炉実験所で働いていて給料をもらっているので、1年間に20mSvまで被曝を我慢しろといわれている人間なんですが、そういう私のような人間は125人に1人が癌で死ぬことを受け入れろといわれているんです。

ところが今回の福島の事故が起きてしまって、いま現場で苦闘している労働者は、なんと今回の事故を収束させるためだけに、250mSvまでは我慢しろといわれている。そして彼らはいま猛烈な被曝環境の中で作業を続けている。そういう彼らは10人に1人は癌で死ぬといわれている。

いま日本の国は、もう福島県に匹敵するような面積の人々を避難させるなんていうことはとうていできないと。もう被曝を我慢させるしかないんだといって1年間に20mSvまで子どもも含めて我慢させると言い出しました。

では子どもの場合、それがどういう危険を負うのかといえば、31人に1人の子どもが癌で死ぬということを子どもに押し付けるということになるんです。とうてい私は許せないと思う。なんとか子どもを守るということをやらなければいけない。

図19 確率的影響を容認できる?

図19 確率的影響を容認できる?

これは国のほうの学者が書いた図です(図19)。右に行くにしたがって被曝量が多くなる。上に行くにしたがって被害が出る確率、つまりどれだけくじに当たるかという可能性が高くなるのですけれど、右上から左下に向けて2重線が書いてあります。つまり被曝が多ければ癌になって死ぬ人間が多いと。被曝が少なくなるにしたがって癌になる割合は少なくなってくると。この先はよく分からないけれども、とにかく真っすぐにいくと考えるしかないだろうというのはもう世界中が認めているわけです。

そこで日本の原子力推進派がなんと言い出したかというと、まあこんなところは容認できるレベルだというんですね。容認できるって、いったい誰がそんなことを決めるんですか。被曝によって癌で死ぬということをいったい誰が誰に対して容認することができるんでしょうか。私はそんなことはやってほしくない。自分に加えられる危害を容認できるか、あるいは、罪のない人々に謂われのない危害を加えることを見過ごすかは、誰かに決めてもらうのではなく、一人ひとりが決めるべきことだと私は思います。

17. 私たち一人ひとりが選択を

3月11日を境に世界は変わってしまいました。いったい誰に被曝を押し付けて、どんな世界を築いていくのかということは、私たち1人ひとりが選択をしなければいけない時代になってしまったと私は思います。

どれだけの被害が出るのかということですが、まずは膨大な土地が失われます。国の今やろうとしている範囲であっても琵琶湖の2倍の面積の土地が失われます。もし本当に人々を被曝から守ろうと思えば、福島県全域に匹敵するほどの土地が奪われます。でもそんなことはできないから被曝の基準をゆるめるといっているのですね。そうすれば被曝が強いられるということになります。どっちかになるしかないのです。

1次産業はたぶん崩壊するでしょう。農業も酪農も漁業も崩壊に陥れられると思います。皆さんも、放射能で汚染したものなんか食べたくないと思っていると思います。私だって放射能に汚染したものは食べたくありません。でも汚染しているから食べないといって私たちがそういう選択をすれば、福島県の農業、漁業、酪農はすべて崩壊してしまうのです。本当にそんな選択をしていいんでしょうか。それも考えてほしい。

そして避難した人たちは、生活がすべて崩壊することになると思います。東京電力なんか何回倒産しても贖いきれない被害です。本当にこの悲劇を補償しようと思うなら、贖いきれないほどの被害が出るというものだと思います。

そういう世界にこれから私たちが生きていくということを皆さんにも覚悟してくださいと、大変心苦しいお願いだけれども、それをして私の話を終わりにします。

<質疑応答>

【質問1】 福島の事故は今後どういう推移をたどるのか、今後考えられる悪いケースはどういうことがあるか。

まず福島第1原発の今後がどうなるかということですが、これは大変お答えしづらいことなのです。なぜかというと、私のような人間にとって一番大切なのは、信頼できるデータなのです。原子炉の炉心といわれている部分にどこまで水が残っているのか、原子炉の中の圧力がどれだけであるのか、放射線量がどれだけであるのかという、そういうデータが信頼できるのかどうなのかということが私にとって命なのですね。

ある時点まで東京電力は1号機から3号機までのすべて、炉心の半分まで水があると言っていたんです。もしそれが本当なのであれば、炉心の下半分はまだ形が残っていると私は思いました。上半分が溶けたり、あるいは崩れたりし、それが炉心の下半分の構造の上に乗っかった状態だろうと私は思っていたのです。

そして、事故が進展するにしたがって、原子炉の中に入れる水の量が減ってしまう。あるいは抜けていく量が増えてしまうということになると、炉心の中に半分まであった水がもっと減っていってしまうだろうと私は想像しました。どんどん減っていって、炉心全体が水から外に出てしまうと、その時に炉心全体が溶けて下に落下すると思いました。

それをメルトダウンと呼ぶのですが、その時にまだ原子炉圧力容器という巨大な圧力釜の中に水が残っていると、そこで水蒸気爆発を起こすと私は思いました。

そうなると、原子炉圧力容器は破壊され、その外側にある原子炉格納容器という比較的薄っぺらな容器も破壊される。そうなれば、放射能を含んでいた炉心部分はすべて溶けてしまっている。そして圧力容器も格納容器もすべて壊れてしまうということになると、大量の放射性物質が大気中に飛び出してくると私は恐れまして、それが私にとっての最悪シナリオでした。

なんとかそれを起こさないようにしなければいけない。もしそれが起きてしまうと、チェルノブイリ原子力発電所の事故と比較にならないほど大量の放射能が出てきてしまうはずだから、それを防ぎたいとずっと思ってきたのです。

そして東京電力もなんとかそれを防ごうとして原子炉の中に水を送り込むという作業を続けてきたわけです。

ところが5月12日になって東京電力が、1号機の原子炉水位計を調整した結果、原子炉の炉心には既にもう水はありませんと言い出したんです。それまでずっと言ってきたことがいっぺんになくなってしまった。

炉心部分に水がなければ溶けるのは当たり前なのであって、東京電力自身も既にメルトダウンをしたと言っているわけです。でも事実として水蒸気爆発は起きていないのです。だから私としては、メルトダウンが起きたけれども、事実として水蒸気爆発はきなかったのだから、ああ、よかったと思ったんです。私が思っている最悪のシナリオは回避したんだと、ほっとしました。

東京電力はその後、2号機も3号機も水位計を調整すればきっと水はない、だから2号機も3号機もすでにメルトダウンをしてしまっているという言い方に変わっているんです。でももしそれが本当だとすれば水蒸気爆発は起きていないわけですから、2号機も3号機も私が描いている最悪シナリオを回避したと思います。でもそれが本当かどうか私には分からないのです。データがどこまで信頼できるかが分からない。

だからもし、いまだに1~3号機も原子炉の炉心が宙ぶらりんの状態であれば、これからもまだ水蒸気爆発という最悪シナリオが起きる可能性はあると思います。

では最悪シナリオを回避した場合はどうなるのかというと、すでにメルトダウンをしているというんですね。メルトダウンしたという、もともとの原子炉の炉心と呼ばれている部分は何かというと、ウランを焼き固めた瀬戸物なんです。

皆さん、瀬戸物って溶かせますか。家庭にあるお茶碗やお皿でもいいです。それをどんどん温度を上げていって、それを溶かすということはできるでしょうか。瀬戸物は熱くしたって普通は溶けません。ウランで焼き固めたその瀬戸物は2800度にならないと溶けません。でもそれが既に溶けちゃったと東京電力はいってるんです。約100トンもの固まりです。それが原子炉圧力容器と呼んでいる鋼鉄製のお釜の下に落っこちた。

鋼鉄というのは1400度から1500度で溶けてしまいます。2800度、100トンもの物が落ちてくれば、私は鋼鉄に穴が空くと思います。多分もう空いてると思います。そして溶けた固まりは下に落ちています。落ちた先は原子炉格納容器と呼んでいるさらに大きな鋼鉄製の容器、そこに落ちています。そこの部分はかなり分厚いコンクリートの構造体があるので、その構造体の上に落ちて、今コンクリートを溶かしながら下に沈んでいるんだと思いますし、一部の溶けたウランは水平方向に流れて、むきだしの格納容器の鋼鉄の壁に接しているのではないかと私は推測しています。

そうすると鋼鉄が溶けて、溶けたウランの固まりが止めようもなく外へ出てきている。出てきてしまえば地下に落下していくということになっているんだと思います。

ですから東京電力が言ってるように炉心が既にメルトダウンをしてしまっているとすると、最悪シナリオは回避したけれども、もう打つ手はありません。溶けた燃料がどんどん下に沈んでいくのを傍観するしかありません。いくら水を入れてもそんなものを冷やすことは多分できないと思います。

ですから今私が提案しているのは、原子炉建屋の周りに、深さ10mとか、とてつもない深い穴を掘って、そこに壁を張り巡らせて、溶けたウランの固まりが地下水と接触することを防ぐことです。それが唯一できることではないかと私は思っています。

【質問2】 報道では津波が第2原発の建屋内に入ってその汚染水を除去して海に流すということで農水省、水産庁が猛反発した。新聞では通常運転で今まで出ていたものが水が入ったことによってそれだけの汚染水になったと。通常運転でもそんなにいっぱい放射性物質は出ているものなのか。

次に福島第2原発の汚染についてです。私はその汚染の正体が何であるか、よく知りません。ただし、原子力発電所の中には、汚染はもうそこらじゅうにあるんです。汚染を既に閉じ込めたつもりの放射性廃物、ドラム缶に詰めたものもあるし、もっと大きな容器に詰めたものもあるし、廃液もある。そこに津波で海水が流れ込んできて、それが今あふれているということをいってるわけで、それが10億Bqといいましたか。私からみると、たいした量じゃない。

言葉は悪いですけれども、いま福島第1原発で起きている事故からみれば、こんなものは放っておいてもいいようなものだろうと思います。むしろちゃんと法律を彼らに守らせて、法律を越えてしまうような汚染は決して外へ出させないという注意をして福島第2に向かえばいいと思います。

【質問3】 北電が5月20日、保安院にMOX燃料体の検査の申請を出した。福島の3号機がMOX燃料を使っていたが、土壌からプルトニウムが検出されたという。それに関して保安院は、昔の核実験から出た古いものだといい、東電は今回の事故の可能性があるというが、ご意見を。

MOX燃料の件ですけれども、皆さんの管内に泊原子力発電所があって、そこの3号機でMOX燃料を使おうとしているんですね。MOX燃料の説明をしだすと大変なのですが、プルトニウムという猛毒物質を燃料に混ぜて使おうとする、そういう発電方法です。じつに馬鹿げた発電方法で、そんなことは決してやってはいけないと私は思ってきました。ですから北海道電力の泊の3号機のMOXの使用もなんとか止めなければいけないと思うし、皆さんもそれに注意をしてほしいと思います。

これに関連してご質問くださったのが福島第1原子力発電所の3号機で既にMOX燃料を使っていたんですね。そして福島第1原発の敷地の中でプルトニウムが見つかったということでのご質問だったと思います。この福島のサイトで見つかったプルトニウムは、私は福島の原発から来ていると思います。核実験の由来ではないと思います。ただし、これが3号機のMOX燃料から来たのかどうかということに関しては分かりません。1号機でも2号機でも、原子炉を使う限りは、原子炉の炉心の中にプルトニウムがどんどん出来てきてしまうのです。MOX燃料として新たにプルトニウムを入れるかどうかということは実は瑣末なことなのであって、プルトニウムに関しては現在福島のサイトに出てきているプルトニウムが3号機のものだと断定する必要もないと思います。要するに原子力をやる限りはこういう猛毒物質が出てきてしまう、そういう受け止め方のほうがいいでしょう。

【質問4】 この間の報道で、アメリシウム、キュリウムという新しい物質が出てきている。3号機でMOX燃料が炊かれていた。プルトニウムに陽子が当たるとアメリシウムができ、アメリシウムが分解するとガンマ崩壊してキュリウムができる。これらが敷地内から発見されているが、これは今回の事故でできたものなのか、今も起き続けているのか。

アメリシウム、キュリウムですが、これもMOXとは関係ありません。要するに原子力発電所の中でウランを燃やしてしまう限り、プルトニウムができるし、プルトニウムが中性子を吸収するとアメリシウムができる。そのアメリシウムがまた中性子を吸収するとキュリウムができるというように、原理的にこれは避けられないのです。

そしてこれらの一群の放射性核種というのは、人類が遭遇したうちで最強といっていいほどの猛毒物質なのです。それを次々と今つくりだしてきて、それが福島原子力発電所の事故で周辺に放り出されてきているということが確実なわけです。

ただし、現在検出されている量は、比較的微量です。これから私たちが被曝をさせられる一番の主体はセシウムです。そしてその次が多分ストロンチウムだと思います。その次に既に被曝させられてしまったヨウ素もあったわけですし、さまざまな放射性核種が私たちに被曝を強制してくることになると思います。そのうちにプルトニウムもあるし、アメリシウムもキュリウムもあると思いますが、何よりも私たちが注意をしなければいけないのはセシウムです。

【質問5】 子どもを被曝させないのが最優先というのは間違いないと思うが、そのために大人はなんぼか食べなきゃならないのかなと、私もちょっとそう思っているが、それに対する反対意見もある。また汚染を垂れ流しにした東京電力の責任がうやむやになってしまうのではないかという気がしなくもない。つまり大人がどれだけ責任を取って子どもを守るかという大人全般の問題にすり替えられる危険性もあるのではないか。

【質問6】(6歳の子どもの母親)家の中にある食材の放射線量を全部調べてもらった。子どもを守るためにできるだけゼロにしたいと思っているのだが、基準値以下といわれるとそれで終わってしまう。国の基準値を変えるにはどうしたらよいのか、変わる可能性はあるのか。

【質問7】(高校生)子どもは影響を受けやすいというが、この先、子どもとしてはどういうことに気を付けて生きていけばよいのか。

まとめてお答えします。まず今日も私は発言しました。大人は放射能を食べてくださいと。特に50歳を越えたような人たちは(笑い)放射線の感受性は低いし、原子力を許してきた責任があるから食べてくださいと。

その私の主張に対して、たくさんの異議を私は受けています。

実はこの議論というのは、私は25年前にしたんです。チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きた時です。その時に、日本の多くの人たちは放射能は食べたくないと言いました。ソ連やヨーロッパの食べ物は汚れているから、そういう汚れた食料を日本の国内に入れないように規制をしろという要求をしたのです。生活協同組合をはじめ食の安全を守ってきた人たちも、もちろんそういう立場に立ちましたし、反原子力という運動をしていた人たちもそういう主張をしました。

それを受けて日本の国は、1kg当たり370Bqを越えるような汚染食品は日本の国内には入れませんという規制値をつくったんですね。それでまがりなりにも日本の人々は被曝を少し避け得たということに多分なったんだと思います。

でも私はその時に反対したんです。チェルノブイリの事故は事実として起きてしまった。ソ連国内、ヨーロッパ、そして世界中の食べ物が汚れてしまったんだと。その食べ物を捨てるということができるんだろうかと。この地球上には、飢餓の国もたくさんあるんです。そういう時に、汚染したから食べたくないと、日本のような国がいうことが本当に正当なことだろうかと私は考えました。日本という国が原子力から一切恩恵を受けていない国であればそれでもいいと思います。しかし日本は原子力をガンガンやってきて、これからもガンガンやり続けると宣言していた国だったんです。

そういう国が、事故が起こって、ほかの国であっても、原子力発電所が事故を起こして汚染食料が出たら、汚染食料だけはいやだといってしまっていいのかと。日本の中にどんどん汚染食料を入れて、日本人自身が原子力を選択することの意味を考えてみるべきだと、私はその時に発言をしました。

もし日本という金持ち国が汚染を拒否すれば、拒否された汚染食料は飢餓の国に回るというのが当時の私の認識でした。そして実際にそれが確認できた例もありました。いったい誰の責任なんだということを常に忘れてほしくないというのが、当時の私の考え方であり、今の私の考え方でもあります。

この汚染を生じさせてしまったのはいったい誰なんだと。工業を豊かにして、エネルギーをたくさん使えば幸せなんだという考えにとりつかれて、日本という国は長い年月、工業化の道をひた走ってきて、農業、酪農、漁業をどんどんつぶしながら、こういう生活にしてしまった。原子力はその象徴です。その原子力が事故を起こした時に、さらに酪農、農業、漁業を崩壊させるという選択をしてはいけないと私は思う。

今だからこそ、こういう工業文明から足を切って、農業、漁業、酪農を大事にするような、そういう社会構造に転換しなければいけないと思うのです。福島の農業、漁業、酪農を崩壊させてはいけないんです。でもそのことは簡単ではない。それをやらせようと思えば、ものすごい汚染した食べ物が私たちのところに回ってくるんです。はっきり言えば、私は食べたくありません。でも、農業、漁業、酪農を崩壊させないで、これから日本という国をどうしなければいけないのかということを考えれば、この既に変わってしまった世界という中で選択をするしかないのです。

だから私は皆さんにお願いをしている。年を取った人は食べてください。もちろんいやだという方がいらっしゃることは分かります。そういう方に私は強制する力はありません。

ではどうすればいいのかということで、基準値のことをおっしゃった方がいる。でも基準値は要するにインチキなんです。被曝というのはどんなに微量でも危険なんです。基準値を決めて基準を超えたから危険だ、基準を下回っていれば安全だなんてことはないんです。

今の日本が決めている1年間に1mSvという被曝の限度にしても、それは危険があるということを認めたうえでの基準なんであって、上がればもっと危険、下がったって危険があるというものなんです。

いま国は、基準値を超えたから危険で出荷制限をします、基準値を下回っていれば安全ですから何にも心配しないでいいですという宣伝をしているんですが、そんな宣伝に惑わされてはいけない。

私の提案は非常に単純です。どんな食べ物も、どれだけ汚染しているかということをきっちりと表示しろということです。私はそれを東京電力と国の責任でやらせたいと思っています。東電にはしっかり責任を取らせたいと思います。そのためには東電に汚染をきっちりと測定させて、それをすべての人に知らせるということが東電の一番の責任だと私は思っています。

そのうえで、年寄りが食べて(笑い)、子どもは守るということを私は提案しているわけで、1つ提案があります。例えば皆さん映画へ行くと、18歳未満は見ちゃいけないという映画(18禁)という映画がありますね。私はこれからの世界は、食べ物に対してそれをやる。60禁の食べ物(笑い)、50禁の食べ物と、そういう表示をすべての食べ物に表示させると提案したい。

そして子どもはゼロに近づけたいとおっしゃる母親がいる。もちろんそうなんです。それでなければいけない。でもそういう人たちがちゃんと選んで、子どもには汚染食料を与えないで済むようなシステムをつくることが必要なんです。

では子どもたちが自分で何ができるかということですけれども、もし私がいま提案したようなことが本当に実現できるのであれば、子どもたちの間で、しっかりとネットワークでも何でもつくって、汚れたものは食べないでおこうね、汚れているものは大人に食べさせようねという(笑い)運動をつくってほしい。

注意できることは山ほどあります。例えば子どもというのは泥にまみれて遊ぶべきものだと私は思いますので、子どもの遊び場所、つまり学校や保育所、幼稚園の校庭というのは必ず表土を剥ぎ取らなければいけない。まずそれを大人の責任でやらせたい。子どもたちも、自分たちが生活する中で、ここは危ないと思うようなことが何かをちゃんと考えながら、放射能がふきだまっているようなところにはなるべく近づかないとか、注意をこれからしていってほしいと思います。

放射能は残念ながら目に見えません。色がついていればいいと思いますけれども、残念ながらついていない。匂いもない。だから避ける手段はものすごく難しいと思いますが、だからこそ、正確な知識をもって対処していくしかないと私は思います。

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