核(原子力)問題講演会(2010年4月10日、札幌エルプラザ)

小出裕章

今、私たちが知っておかなければならない

核・原子力問題の真実(要旨)

小出 裕章(京都大学・原子炉実験所助教)

こいで ひろあき: 1949年生まれ。東北大学原子核工学科卒、同大学院修了。74年、京都大学原子炉実験所助手。2007年4月の大学教員の呼称変更に伴い、現在は助教。専門は放射線計測、原子力安全。伊方原発訴訟住民側証人。人形峠のウラン残土訴訟で住民側に立ち、地裁・高裁あわせて8通の意見書を提出。著書に『放射能汚染の現実を超えて』『原子力と共存できるか』『人形峠ウラン鉱害裁判』『隠される原子力=核の真実』など。また、1987年版から年度版百科事典「イミダス」の原子力の章を執筆。

1. 被曝の影響と恐ろしさ

放射能は五感に感じない

「放射能」とは、もともとは放射線を出す能力を意味する言葉です。それが日本では「放射性物質」を指すためにも使われています。たとえばウランは「放射能」だと言われますが、それはウランが「放射性物質」であることを示しています。そして、物質である以上、重さもあるし、形もあります。目で見ることも、触ることも、場合によっては匂いを感じることもできるものです。しかし、もし放射性物質が五感に感じられるほど存在するようになると、人は生きていられません。

放射線の発見と被害の歴史

人類が放射線を発見したのは1895 年、ドイツのレントゲンが最初でした。そのときレントゲンは陰極線管という実験装置を使っていて、そこから目に見えない不思議な光が出ていることを見つけたのでした。そしてそれを「X線」と名づけました。それ以降、たくさんの人たちがX線の正体を探るための研究を始めました。1896 年にはフランスのベクレルが人工の実験装置ではなく、自然にある物質であるウラン鉱石からも同じような光線が出ていることを発見しました。そして、不思議な光を放出する能力を放射能と名づけました。さらに1898年にはキュリー夫妻がウラン鉱石の中からラジウムとポロニウムを分離し、それらこそ放射能を持っている正体であることを突き止めて、放射性物質と名づけました。

大変優秀な学者たちが活躍した時代でしたが、いかんせん当時は放射線が何であるか、放射能が何であるかを知らない時代でしたし、被曝することがどれだけ恐ろしいことかも知りませんでした。そのため、放射線の発見直後から、多くの人々に火傷などの急性の放射線障害が現れ、放射線に被曝をすることが生命体にとって有害であることが事実として分かってきました。それでも当時は、皮膚が赤くなるかどうかという、生命体にとっては大変危険な量が被曝限度とされていました。そうして、五感に感じない放射線に被曝して、キュリー夫妻を含め、たくさんの人たちが命を落としました。

東海村事故での悲惨な死

1999 年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工工場(JCO)で、「臨界事故」と呼ばれる事故が起こりました。工場にあった1つの容器の中で、核分裂の連鎖反応が突然始まり、作業に当たっていた3人の労働者が大量の被曝をしたのでした。

放射線の被曝量は物体が吸収したエネルギー量で測ります。単位は「グレイ」で、物体1kg 当たり1ジュール(0.24 カロリー)のエネルギーを吸収した時の被曝量が1グレイです。従来の医学的な知見によると、およそ4グレイの被曝を受けると半数の人が死に、8グレイの被曝をすれば絶望と考えられてきました。事故で被曝した労働者の被曝量はそれぞれ18、10、3グレイ当量(グレイ当量は、急性障害に関する中性子の危険度をガンマ線に比べて1.7 倍として補正した被曝量)と評価されました。特に高い被曝を受けた2人の労働者については単なる被曝治療(被曝の治療は実質的には感染予防と水分、栄養補給くらいしかない)では助けられないため、東大病院に送られました。その後、感染防止や水分・栄養補給はもちろん、骨髄移植、皮膚移植などありとあらゆる手段が施されました。彼らは造血組織を破壊され、全身に火傷を負い、皮膚の再生能力を奪われていました。そして、天文学的な量の鎮痛剤(麻薬)と毎日10Lを超える輸血や輸液を受けながら苦しい闘病生活を送りました。彼らは私の予想を遙かに超えて延命しましたが、最大の被曝を受けた大内さんは12月に、2番目の被曝を受けた篠原さんは翌年4月に帰らぬ人となりました 。

人間は体温が1度や2度上がっても死にません。しかし、悲惨な死を強いられた2人の労働者が受けたエネルギーは、彼らの体温を1000分の2-4℃上昇させただけのものでしかありませんでした。

分子結合のエネルギーと放射線のエネルギー

何故、ほんのわずかのエネルギーであっても、放射線に被曝する場合には、人間が死んでしまうのかといえば、生命体を構成している分子結合のエネルギーレベルと放射線の持つエネルギーレベルが10万倍も100万倍も異なっているからです。私たちのDNA を含めた身体、さらにはこの世のほとんどすべての物質は分子で構成されています。分子とは、原子が結合してできているものですが、お互いが結びつくために使われているエネルギーは数eV(電子ボルト)程度です。しかし、放射線のエネルギーは数十万から数百万、場合によっては数千万eVに達します。そのようなものが身体に飛び込んでくれば、DNA を含め多数の分子の結合が切断されてしまいます。

直線・しきい値なし仮説

放射線が分子結合を切断・破壊するという現象は被曝量が多いか少ないかには関係なく起こります。被曝量が多くて、細胞が死んでしまったり、組織の機能が奪われたりすれば火傷、嘔吐、脱毛、著しい場合には死などの急性障害が現れます。こうした障害の場合には、被曝量が少なければ症状自体が出ませんし、症状が出る最低の被曝量を「しきい値」と呼びます。ただ、この「しきい値」以下の被曝であっても、分子結合がダメージを受けること自体は避けられず、それが実際に人体に悪影響となって表れることを、人類は知ることになりました。

広島・長崎に原爆が落とされ、瞬間的な死も含めごく短時間に10万人の桁の人々が命を奪われました。両市に原爆を落とした米国は1950年に、被爆者の健康影響を調べる寿命調査(LSS: Life Span Study)を開始し、広島・長崎の近距離被爆者約5万人、遠距離被爆者約4万人、ならびに原爆炸裂時に両市にいなかった人(非被爆対照者)約3万人を囲い込んで被曝影響の調査を進めました。被爆者としてレッテルを貼られたそれらの人々を半世紀にわたって調査してきた今、50ミリシーベルトという被曝量にいたるまで、がんや白血病になる確率が高くなることが統計学的にも明らかになってきました。そのため、確率的影響と呼ばれるこれらの障害については、それ以下であれば影響が生じないという「しきい値」がなく、かつどんなに低い被曝量であっても被曝量に比例した影響が出ると考えるようになりました。この考え方を直線・しきい値なし(LNT: Linear Non Threshold)仮説と呼びます。

低レベル放射線の生物影響を長年にわたって調べてきた米国科学アカデミーの委員会は、2005年6月30 日、彼らが出してきた一連の報告の7番目の報告を公表しました。その結論として、以下のように書かれています。

利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。

被曝が少なければ安全という妄言

図1 被曝量が低い場合の危険度の考え方

図1 被曝量が低い場合の危険度の考え方

それでも、原子力を推進する人たちは、直線仮説すら認めようとせず、50mSv以下の被曝領域では被曝の影響がないかのように主張しています。生物には放射線被曝で生じる傷を修復する機能が備わっている(修復効果)、あるいは放射線に被曝すると免疫効果が活性化される(ホルミシス)から、量が少ない被曝の場合には安全あるいはむしろ有益だというような主張すらあります。そういう主張を含め、低線量被曝領域における危険度をどのように考えるかを(図1)に示します。

図2 被爆者データが示す危険度

図2 被爆者データが示す危険度

国際放射線防護委員会(ICRP)は「生体防御機構は、低線量においてさえ、完全には効果的でないようなので、線量反応関係にしきい値を生じることはありそうにない」と述べ、放射線の被曝はそれが低線量であっても影響があることを認めています。ただし、その ICRPも実はLNT仮説を使っていません。ICRPは、低線量での被曝影響には線量・線量率効果係数(DDREF)と呼ぶ係数を導入して、影響を半分に値切っているのです。ところが、人間の被曝についてもっとも充実したデータを提供してきた広島・長崎の原爆被爆者データは、(図2)に示すように、むしろ低線量になるに従って単位線量あたりの被曝の危険度が高くなる傾向を示しています。

とくに最近の科学の進歩によってバイスンダー効果、遺伝子(ゲノム)不安定性と呼ばれる継世代影響などの生物影響が発見され、低線量での被曝は高線量での被曝に比べて単位線量あたりの危険度がむしろ高いというデータが分子生物学的にも裏付けられてきました。

2. 核の本質

戦争と庶民の歴史

20世紀は戦争の世紀といわれます。第1次、第2次世界戦争がおき、世界中が戦争に巻き込まれました。ただ、人類の歴史は遠い過去からずっと戦争の歴史だったと言えそうです。ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦も起こりました。その悲惨な歴史を見つめ、戦後ドイツの大統領になったワイツゼッカーは1985年、「荒野の40年」という演説を行いました。その中で彼は以下のように言っています。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。

ナチス・ドイツ下で発見されたウランの核分裂反応

ウランの核分裂現象が発見されたのは第2次世界戦争の前夜、1938年の暮れでした。その反応でいわゆる化学反応に比べて桁違いのエネルギーが放出されることもすぐに分かりましたし、それがもし爆弾に利用されると極めて高性能なものになることも分かりました。ナチスの迫害を逃れて米国に移っていたアインシュタインをはじめとする優秀な科学者たちは、ナチスより先に原爆を作らなければいけないとルーズベルト大統領に進言し、米国の原爆製造計画である「マンハッタン計画」が始まりました。

もちろん、ナチス・ドイツや米国だけでなく、世界中の物理学者がそのことを理解しましたし、日本でも、原爆を作る研究が始まりました。それでも、豊かな資源に恵まれ、主戦場にならなかった米国だけが、原爆を作り上げる条件を備えていました。マンハッタン計画には総額で20億ドル、当時の日本の年間総国家歳出がつぎ込まれ、5 万とも10 万人とも言われる科学者・技術者・労働者を秘密都市に閉じ込めて原爆が作り上げられました。

原爆の強烈な破壊力

1945年3月10日、東京は300機を超えるB29による空襲を受け、下町を中心に市街地の40%が灰燼に帰し、10万人の人々が焼き殺されました。その時に雨あられと投下された焼夷弾の量は1665トンでした。その5か月後、広島、長崎に原爆が投下されました。広島原爆の爆発力は火薬に換算して16000トンで、長崎原爆の21000トンでした。そして、それぞれ10万人の人々が筆舌に尽くしがたい苦悶のうちに短期日に死亡し、生き延びた人々はヒバクシャとなって、その後の人生を奪われました。そして、原爆が示したその強大な爆発力への恐れは、次に、未来へのエネルギー源としての「平和利用」への期待に転化しました。

連鎖反応

今、ここに灯油1kg と火薬1kg があったとしましょう。それぞれに火を点けたとして、どちらがどれだけ多くのエネルギーを出すでしょう? 正解は、灯油1kg が出すエネルギーが約1万キロカロリー、火薬1kgが出すエネルギーは約1000キロカロリーです。火薬といえば、莫大なエネルギーを出すように思われがちですが、実際には火薬は灯油の10分の1のエネルギーしか出しません。灯油を含め普通、物が燃えるということは、その物質が酸素と結びつく反応を意味します。したがって、酸素がなければ物は燃えないし、供給できる酸素の量に見合った形でしか反応は進みません。しかし、火薬は爆発現象を引き起こさせたいのであり、酸素の供給に見合ったスピードでしか燃えないというのでは話になりません。そこで、酸素がなくても燃えるように工夫を重ね、ようやく得られたのが火薬です。しかし、そのために、反応で得られるエネルギーは大幅に犠牲にされてしまいました。

核分裂反応で莫大なエネルギーが放出されることの他に、この反応に関して決定的に重要なことがもう一つありました。すなわち、ウランは中性子と結合して燃える、つまり核分裂という現象を起こしますが、この反応の場合、1個の中性子を吸収して核分裂を起こすと、2個あるいは3個の中性子が飛び出してくることです。すなわち、初めの中性子さえ供給すれば、後は反応が自立的に鼠算式に拡大していくのでした。まさに、爆発現象を引き起こすための条件で、核分裂反応はその反応で放出される莫大なエネルギーを一切犠牲にせずに爆発現象を起こします。この時代は第2次世界戦争前夜であり、核分裂反応が持つこの基本的な性質は一気に原爆へと開花しました。日本では、「核」と「原子力」は違うものであるかの様に宣伝され、核分裂反応がはじめに原爆として利用されたことを不幸なことであったと言う人々がいます。しかし、核分裂反応はその本性からして爆弾向けなのであり、「核」の「平和利用」ならいいというのは間違った考えです。

ウラン原爆とプルトニウム原爆

原爆を作ろうとした一番初めは、ウランを材料にする構想でした。しかし、一口にウランと呼ぶ元素の大部分は「非核分裂性ウラン(U-238)」で、「核分裂性ウラン(U-235)」はわずか0.7%しか存在しません。そのU-235を集める作業を「ウラン濃縮」と呼びます。しかし、この「ウラン濃縮」という作業はとてつもなくエネルギーを必要とする大変な作業でした。そのため、原爆炸裂時に放出されるエネルギーより遥かに多くのエネルギーを、ウラン濃縮だけのために使わなければなりませんでした。

一方、優秀な科学者たちは、ウランの大部分を占めるU-238 を「核分裂性のプルトニウム(Pu-239)」に変換し、Pu-239 で原爆を作る方法があることに気づきました。そして、ワシントン州ハンフォードに巨大なプルトニウム製造用原子炉と、生み出されたプルトニウムを分離するための再処理工場が作られました。こうして、マンハッタン計画ではウラン原爆とプルトニウム原爆を作る作業が平行して進められました。結局、1945 年夏になって米国は3発の原爆を完成させましたが、そのうち2発がプルトニウム原爆でした。1発は人類初の原爆として、米英ソ3国首脳が日本への降伏勧告を協議するポツダム会談の日にあわせて、米国の砂漠アラモゴルドで炸裂(トリニティ=三位一体)。もう1発が長崎原爆・ファットマンとなりました。「核分裂性のウラン」で作られたウラン原爆は広島に落とされたリトルボーイです(図3)。

図3 マンハッタン計画における2つの道
国の原爆製造計画(マンハッタン計画)では、広島原爆を作るために「ウラン濃縮」、長崎原爆を作るために「原子炉」、「再処理」が開発された。
それらが今、原子力「平和」利用と称して利用されている。

図3 マンハッタン計画における2つの道

劣化ウランとその毒性

図3)に示したように、濃縮ウランやプルトニウムを生み出す工程で核分裂性ウランの割合が減った劣化ウランや減損ウランと呼ばれるごみが生じます。そのゴミは単なるごみではなく放射能をもったごみです。

表1 天然ウランと劣化ウランの被曝特性

表1 天然ウランと劣化ウランの被曝特性

ウランは重金属としての毒性を持つとともに、そもそも放射能であるため生命体に対して危険を持ちます。そのため、他の放射能に対すると同じように、原子力や放射線を取り扱う労働者に対しては、1年間にそれ以上のウランを取り込んではならない限度が「年摂取限度」として定められています。

天然ウランと劣化ウランの放射能の強さと被曝特性を(表1)に示します。燃えるウランも燃えないウランもいずれも良く似たエネルギーのアルファ線を放出し、劣化ウランは天然ウランに比べて比放射能(単位重量当たりの放射能量)が約6割であるため、生体に対する毒性も約6割です。しかし、だからといって危険がないわけではなく、一般公衆に対する劣化ウランの年摂取限度は、吸入の場合11.4mgでしかありません。

表2 世界の劣化ウラン貯蔵量

表2 世界の劣化ウラン貯蔵量

いまや原爆の主力はウランではなくプルトニウム原爆です。そのため、核兵器を造るためにウランを濃縮する必要はなくなりました。しかし、「平和」利用と呼ばれる原子力発電でウランを燃やす場合でも、天然ウランそのままでは火をつけることができません。そのため、燃えるウランの割合を3-5%程度に濃縮しています。そして、一方で「燃えるウラン」の濃度が高いウランを作れば、一方には「燃えるウラン」の濃度が減ったウランがごみとしてできます。そして、その量は製品のウランよりも遙かに多くなります。その始末に困った米国は劣化ウランを兵器として使ってしまうことを考え付いたのでした。

原子力(核)開発を進めてきた世界の各国が、現在どれだけの劣化ウランを保有しているかを(表2)に示しますが、米国だけで80万トン、総量では170万トンに達します。米軍がこれまでに実戦使用した量は数千トンでしかありません。それ自体もとてつもない量ですが、すでに生み出してしまった劣化ウランの総量に比べれば、まことに微々たるものでしかありません。これまでに使われた量の1000倍以上の劣化ウランが始末におえないごみとして今現在、存在しています。

劣化ウラン弾

米軍はイラクやユーゴで、そしてその後アフガニスタンやイラクでも劣化ウラン弾を使用しています。そして、現地住民をはじめ参戦した米軍を含めたNATO 軍の兵士まで、がん、白血病、免疫不全、極度の慢性疲労などが多発しています。それらは「湾岸戦争症候群」、「バルカン症候群」とよばれ、劣化ウラン弾との因果関係が疑われています。

劣化ウランを兵器として使う理由の第一は、何よりもそれが原子力(核)開発が生み出してしまったやっかいなごみである上、金銭的には「ただ」だということです。その上、劣化ウランを材料にして砲弾を作ると、以下の3つの利点を兼ね備えた超優秀な兵器となります。

(1) ウランは硬い上、比重が18.9 と、鉄(比重7.9)に比べて倍以上重く、貫通力がある。(2) 金属ウランは空気中で発火し、火災効果をもたらす。(3) ウランは放射能であり、敵に被害を与える。

たとえば、これまでは戦車の装甲を貫通できなかった対戦車砲弾も、それを劣化ウランで作れば、重く硬い劣化ウラン弾は戦車の装甲を貫通できます。そして、装甲を貫いて戦車内部に飛び込んだ砲弾はその場で発火し、兵士を焼き殺します。さらに、微粒子となって飛び散ったウランは放射能として飛散して周辺の人々を被曝させます。

これまでに米軍を中心にして使用された劣化ウラン弾ですが、湾岸戦争で320 トン、ボスニア・ヘルツェゴビナで3 トン、コソボで10トンというのが米軍も認めている数値です。2001 年10月のアフガニスタン、2003年春のイラクに対する米軍の侵略でも劣化ウラン弾が使用され、アフガニスタンで1000トン、イラクで2000トンの劣化ウランが使用されたと推定されています。

劣化ウランを使った砲弾の幾つかについて、1 発に含有されている劣化ウランの重量は、もっとも小さな砲弾である25mm 砲でも、1 発の砲弾に147gの劣化ウランが含まれ、一般人の年摂取限度に比べれば1万倍以上です。

湾岸戦争で集中的に劣化ウラン弾が使われたイラク南部の都市バスラでは、子供たちの間に悪性腫瘍が多発しました。しかし、悪性腫瘍を引き起こす原因には放射線以外のものもあるため、このような悪性腫瘍の増加が本当に劣化ウラン弾の使用と関連があるかどうかを科学的に立証することはなかなかできません。そのため、米国は以下のように主張しています。 「劣化ウランがイラクの新生児がんの原因だという非難は、事実無根である。実際に、イラクによる、発ガン性物質を使った化学兵器の使用こそが、劣化ウランのせいだとされるがんや出生異常の原因である可能性が最も大きい」(劣化ウランに関する情報、国務省国際情報プログラム室、2003年)

残念ながら、発生している病気が劣化ウラン弾使用の結果であることを、私は「科学的」に示すことができません。劣化ウラン弾の被害を実証するためには、ウランによる汚染の強さと広がり、その時間経過、更には病気の発生率と時間変化、交絡因子の検討など科学的にたくさんの情報を集めなければなりません。そのためには、多くの努力と時間が必要となります。そのような時に、被害の原因が科学的に明らかになるのを待っていては多数の被害者が生まれてしまうことを、従来の経験が教えてくれています。ウランは猛毒の放射能であり、そのような物質を環境に撒き散らす行為は、ただそれだけの理由で禁止されるべきだと、私は思います。

3. 原子力とプルトニウムにかけた夢

恐れは期待に転化した

記事

記事

原爆が示した強大な爆発力への恐れは次に、未来へのエネルギー源としての期待に転化しました。たとえば、日本で原子力開発が始まった当時、新聞は(記事)のように伝えました。この記事の後半部分がまったくの誤りであることはすぐに分かります。電気料金は2000分の1になりませんでした。また、原子力発電所は火力発電所に比べてもはるかに巨大な工場になりましたし、三多摩にもビルの地下にも原子力発電所は建設できず、過疎地に押し付けられました。

でも、この記事の前半に書かれていること、すなわち化石燃料はいずれ枯渇するので、未来のエネルギー源は原子力だということは、いまだに言われ続けていますし、多くの日本人はそう思わせられています。

石油はいつ枯渇する?

図4 石油可採年数の推定の変遷

図4 石油可採年数の推定の変遷

では、現在私たちが強く依存している石油はいつなくなるのでしょうか? 石油の可採年数推定値の変遷を(図4)に示します。今から約80年前の1930年における石油可採年数推定値は18年で、それは長く続く戦争の強力な動機の一つとなりました。それが10年たった1940年には、逆に23年に延びました。しかし、それでも石油権益を確保することは列強諸国の深刻な課題であり続け、第2次世界戦争の動機となりました。

しかし戦争が終わった1950年になっても石油可採年数は20年でした。本来であればこの時点で、石油可採年数推定値には大きな不確かさがあり、それには単純な石油埋蔵量の推定だけでなく、世界の政治状況、個々の国の事情、経済的な思惑などが複雑に絡み合っていることをしっかりと認識すべきでした。それから10年たった1960年には、石油は枯渇するどころか、可採年数が35年に延びました。その上、それから30 年たった1990 年になっても石油は枯渇するどころか可採年数は45 年に延びたのでした。最新の可採年数推定値は50年にまで延びています。

貧弱なウラン資源

図5 再生不能エネルギー資源の埋蔵量

図5 再生不能エネルギー資源の埋蔵量
数字の単位は1x1021J 上段が「究極埋蔵量」、下段が「確認埋蔵量」

それでも、石油にしても石炭にしても、使えばいずれはなくなります。しかし、だからと言って化石燃料がなくなったら次は原子力だとは言えません。使えばなくなる資源を「再生不能資源」と呼び、化石燃料もそうですし、原子力の燃料であるウランもまた「再生不能資源」です。地球上に存在している化石燃料とウラン資源の量を、それぞれが発生するエネルギー量で比較して(図5)に示します。圧倒的な埋蔵量を誇るのは石炭です。世間では「エネルギー危機」なるものが叫ばれ、多くの人々はあたかもエネルギー資源が枯渇してしまうかのような錯覚にとり憑かれていますが、石炭を使い切るまでには1000年かかります。その上、近年急速に消費が増大してきた天然ガスは新たな埋蔵地域が次々と発見されていますし、海底のメタンハイドレート、地殻中の深層メタンなど将来性が有望視されている資源もあります。少なくとも予想可能な未来において化石燃料は枯渇しません。逆に、多くの人たちが抱かされた幻想と違って、ウランは利用できるエネルギー量換算で石油の数分の一、石炭に比べれば数十分の一しか存在しません。

化石燃料が枯渇するから未来は原子力だと言われ続けた宣伝そのものがまったくの誤りでした。事実を虚心坦懐に見ることができるなら、原子力の燃料であるウランはすぐに枯渇してしまうので、当面は化石燃料に頼るしかないというのが本当です。

4. 日本が進める核開発の目的は?

プルトニウム利用のための核燃料サイクル

図6 核燃料サイクルの全体像

図6 核燃料サイクルの全体像

すでに述べたように、ウラン全体の中で核分裂性のウラン(ウラン235)が占める割合はわずか0.7%です。そのため、原子力に夢を託す人たちはウラン全体の99.3%をしめる燃えないウランをプルトニウムに換えて利用することを思いつきました。それを実現するために必要なものが、非核分裂性のウランを効率的にプルトニウムに変換するための高速増殖炉を中心とする核燃料サイクル計画でした(図6)。そして、原子力をエネルギー資源にしようとして、米国を含め核(=原子力)先進国は高速増殖炉路線に足を踏み込みました。世界で一番初めに原子力発電に成功したのはEBR-1 と呼ばれる高速炉で1951年12月のことでした。ところが、高速増殖炉は技術的、社会的に抱える困難が多すぎて、一度は手を染めた世界の核開発先進国はすべてが撤退してしまいました。

日本の原子力開発長期計画(以下、長計)による高速増殖炉実現の見通しを示します。高速増殖炉の開発計画が初めて言及されたのは1967年の第3回長計でした。その時の見通しによれば、高速増殖炉は1980年代前半に実用化されることになっていました。ところが実際には高速増殖炉ははるかに難しく、その後、長計が改定されるたびに実用化の年度はどんどん先に逃げていきました。1987年の第7回長計では「実用化」ではなく、「技術体系の確立」とされ、さらに2000年の第9回長計では、ついに数値をあげての年度を示すことすらできませんでした。2005年に「原子力政策大綱」と大仰な名前になって改定された計画では、2050年に初めの高速増殖炉を動かしたいと書かれていますが、そんなことが実現できる道理がありません。

原子炉を実用化するためには、小型の「実験炉」、少し規模を大きくした「原型炉」、そして技術全体を実証する「実証炉」と開発を進めます。日本では、「常陽」と呼ばれる実験炉が1977年から運転を始めましたが、現在は事故で止まってしまっています。続いて原型炉として「もんじゅ」と呼ばれる原子炉を作り、1994 年に動かし始めました。しかし、1995 年に40%の出力まであげて、発電も含めた総合的な試験をしようとした途端に、2次冷却系が破損し、冷却材として使っていたナトリウムが噴出してきて火災になりました。そのまま、14年以上たった現在も止まったままです。それにもかかわらず、日本というこの国では、いまだに1kWh の発電すらしていない「もんじゅ」に限っても、すでに1兆円をこえる金を捨ててしまいました。こんなでたらめな計画を作った歴代の原子力委員会委員は誰一人として責任を取らないまま、原子力界に君臨し続けています。そして、高速増殖炉はすぐにでもできると今でも言い続ける学者たちがいます。

高速増殖炉の真の意図

原型炉「もんじゅ」は、事故を起こし、すでに15 年近く止まったままです。「もんじゅ」を開発した技術者たちはすでに定年でいなくなってしまいましたし、15年も動かなかった機械を動かすなど普通はありえません。しかし、日本の国は再度それを動かそうとしています。なぜ、日本の国がそれほどまでに高速増殖炉に固執するのかには、実は理由があります。今日の原子力発電所(軽水炉と呼ばれたり、熱中性子炉と呼ばれたりします)が生み出すプルトニウムの場合、核分裂性のプルトニウム(Pu-239 とPu-241)はプルトニウム全体の約70%程度しか含まれません。それでも次項で述べるように、日本はすでに長崎原爆を4000発も作れてしまうほどのプルトニウムを普通の原子力発電所で作り出し、さらには分離して保有しています。しかし、核兵器を作るためには、核分裂性のプルトニウムの割合は普通90%以上のものを使っており、現在日本が保有している軽水炉からのプルトニウムでは優秀な核兵器は作れません。ところが、高速増殖炉を動かすことができれば、その「ブランケット」と呼ばれる部分には、核分裂性プルトニウムの割合が98%という超優秀な核兵器材料が生み出されます。

厄介もの処理としてのプルサーマル

図7 日本が保有する分離プルトニウム

図7 日本が保有する分離プルトニウム
長崎原爆(21kt)が8kgのプルトニウム239で製造されていたとし、
保管中の分離プルトニウムの68%が核分裂性であると仮定した。

日本は、先の戦争でアジアを中心に海外の人々に多大の厄災を及ぼしました。現在の日本の為政者たちは「国際社会」なる言葉が大好きで、日本は国際的に信頼されているかのように装っています。しかし、かつてドイツのシュミット首相は「日本はアジアに友人がいない」と評しましたが、アジアどころか世界中に友人がいません。そんな日本が、「原子力の平和利用」と称しながら使い道のないプルトニウムを保有することも国際社会が許す道理がなく、日本は余剰プルトニウムを持たないと国際公約させられたのでした。

しかし、仮に原子力を進めている人たちの計画通りに行ったとしても一番初めの高速増殖炉が動き始めるのは2050年です。それにも拘わらず、それが実現するとの前提で日本は使用済み核燃料の再処理を英国・フランスに委託し、すでに45トンにも上るプルトニウムを分離して溜め込んできてしまいました(図7)。そのため今、日本は何が何でもこのプルトニウムを始末しなければならなくなりました。そのために苦し紛れに考えられたのが、プルトニウムを普通の原子力発電所の原子炉として利用されている熱(サーマル)中性子炉で燃やすという「プルサーマル」計画です。

安全余裕を低下させる

原子力発電所はもともと危険なものであって、「プルサーマル」をすることで初めて危険になるのではありません。ただし、どんなものでも、ものを作る時には余裕を持たせて作ります。それでも考えていたとおりの余裕がなくて、事故を起こすことがあります。普通の原発でも事故が起きるのはそのためです。すでに述べたように、ウラン(U-235)もプルトニウム(Pu-239)も原爆材料となったように、核分裂する性質を持っていることでは同じです。しかし、もともとプルトニウムとウランは違う物質であり、今日の原子力発電所はウランを燃やすために設計されたものです。その原子炉でプルトニウムを燃やそうとすれば、様々な問題が起こって安全性が低下します。そのことを専門的には「安全余裕」を低下させるといいます。せっかく余裕を見ながら考えて原発を作ったのに、その安全余裕を食いつぶすことになります。

現在、国と電力会社などはプルサーマルで使うMOX 燃料は全炉心の3分の1まで入れても安全だとしています。しかし、ウランを燃やすために設計された原子炉に、プルトニウムなど入れない方がまだ安全であり、プルトニウムを入れることはもともと危険な原子炉をさらに危険にするだけです。このことは灯油のストーブでガソリンを燃やそうとするのと同じです。

5. 温暖化と二酸化炭素の因果関係

地球温暖化問題

現在、地球の温暖化なるものが人類にとっての最大の問題であると宣伝されています。そして、その原因が二酸化炭素を主成分とする温室効果ガスであり、二酸化炭素の放出を減らすためには、化石燃料への依存をやめ、二酸化炭素を出さない原子力に切り替えなければいけないと宣伝されています。

この宣伝にはたくさんの嘘があります。まず第1に、地球温暖化の原因は多様であり、二酸化炭素だけが原因ではありません。次に、原子力は二酸化炭素を出さないどころか、最大の二酸化炭素放出源になります。そして最後に生命環境を守るためにはエネルギー浪費を減らすことこそ必要なのであって、地球温暖化、あるいは今、悪者扱いされている二酸化炭素問題など些細なことにすぎません。

温暖化は19世紀初めから

人類による化石燃料の消費が急速に進み、二酸化炭素放出が激増したのは、第二次世界戦争後、つまり1946 年以降のことです。では、現在観測されている地球の温暖化という現象はいつから起きているのでしょう? 1800 年です。つまり人類による二酸化炭素放出が始まる前から温暖化の現象は起きており、これは地球の自然の現象です。19世紀と20世紀前半の気温の上昇速度は100年に0.5度程度でした。それが20世紀後半になって先に述べた様に100年に1.3度程度に上昇率が増えているようにみえます。そのため、二酸化炭素を悪者視するIPCC すら「20世紀後半の温暖化に限って二酸化炭素が主因」だと主張しているにすぎません。しかし、20世紀後半の温暖化に二酸化炭素の影響があるとしても、地球上の生命環境を破壊してきた原因は、多様な人間活動そのものにあります。二酸化炭素放出など人類の諸活動のただ1つに過ぎませんし、生命環境破壊の原因のすべてを二酸化炭素に押し付けることは間違っています。その上、二酸化炭素濃度の増加が地球温暖化の原因だとする主張とは、逆の結果を示しているデータもあります。この図(図8)は、二酸化炭素の長期的上昇傾向を差し引いた上でのもので、二酸化炭素濃度の上昇自体は前提にされています。しかし、それでもなお気温が上がった後に二酸化炭素濃度が増え、気温が下がると二酸化炭素濃度が減る、つまり、気温が上下することで二酸化炭素が上下していることを示しています。どうしてそうなるかも説明できます。すなわち、地球上の二酸化炭素はそのほとんどが海水中に溶け込んで存在していています。気温が上がることで、海水の温度が上がり、海水に溶け込んでいた二酸化炭素が大気中に出てくることは当然です。

このように、地球の大気温度の変化、二酸化炭素濃度の変化は、お互いに影響し合う関係にあるし、その要因も複雑です。

図8 気温と二酸化炭素濃度の変化の順序

図8 気温と二酸化炭素濃度の変化の順序

地球温暖化の要因には自然要因もあるし、人為要因もある

自然は大変複雑な系です。その地球の温度も地球誕生以降大きな変動を繰り返してきました。人類などまだ誕生する以前には現在よりさらに高温だった中生代があり、恐竜たちが生きていました。新生代に入っても、大きな氷河期を4回も経験し、現在は4番目の氷河期が終わった温暖期にあります。現在問題にされている最近150年間の温度増加など高々0.8 度程度でしかありませんが、それぞれの氷河期とそれが終わった温暖期の気温には約10度もの違いがありました。それでも、北極の白熊を含め、こんなことで絶滅はしませんでした。現在、北極の白熊などが絶滅の危機に瀕しているのは温暖化のためではなく、人類が地球上にはびこりすぎ、他の生物の生命環境を侵食してきたからです。

地球の温度に影響する原因のうち、人為的要因でない自然の要因にも、地球の歳差運動が関係するミランコビッチサイクル、太陽活動による変動サイクル、エル・ニーニョやラ・ニーニャなど地球自体の要因、さらには火山の爆発などの要因もあり、大気中の二酸化炭素濃度も気温も長い周期、短い周期、あるいは大幅小幅にと多様な変化をしてきました。観測している地球の平均気温も大気中の二酸化炭素の濃度もそれらすべてが関係しながら変動しています。人為的な要因が地球を温暖化させている可能性は高いと私は思いますし、「予防原則」を適用して、その温暖化を防止しようということも必要かもしれません。しかし、すでに述べたように、それは科学の議論ではなく政治的、政策的な議論の範疇に入ることです。

人類の諸活動が引き起こした災害には、大気汚染、海洋汚染、森林破壊、酸性雨、放射能汚染、さらには貧困、戦争などがあり、温暖化はそのうちの一つに過ぎません。そしてその温暖化の原因の一つの要因に二酸化炭素があるというに過ぎません。それにもかかわらず、二酸化炭素の放出を減らすことが、何よりも大切だと多くの人が思わされています。地球温暖化問題は現時点では、科学的な根拠が薄弱なまま、政治的に引き回されています。

6. 原子力こそ最大の破壊源

原子力発電も大量の二酸化炭素を放出する

図9 100万kWの原発を1年間運転するのに必要な作業

図9 100万kWの原発を1年間運転するのに必要な作業

原子力はウランやプルトニウムの核分裂現象を利用します。核分裂現象は、通常の物が燃える場合に二酸化炭素が出る現象とは異なります。そのため、日本の国や電力会社は「原子力は二酸化炭素を出さず、環境にやさしい」と宣伝しています。ただし、最近では「原子力は発電時に二酸化炭素を出さない」に微妙に変わってきています。何故でしょう?

原子力発電を行うにあたって必要な作業の流れを(図9)に示します。(図9)で中央やや下よりに「原子炉」と書いた部分が原子力発電所です。これを動かせば、今日標準的となった100万kWの原発の場合、1年間に約70億kWhの電気が生み出されます。しかし、この原子炉を動かそうと思えば、ウラン鉱山でウランを掘ってくる段階に始まり、それを製錬し、核分裂性ウランを「濃縮」し、原子炉の中で燃えるように「加工」しなければなりません。そのすべての段階で、厖大な資材やエネルギーが投入され、厖大な廃物が生み出されます。さらに原子炉を建設するためにも厖大な資材とエネルギーが要り、運転するためにもまた厖大な資材とエネルギーが要り、そして、様々な放射性核種が生み出されます。これら厖大な資材を供給し、施設を建設し、そして運転するためには、たくさんの化石燃料が使われざるを得ません。結局、原子炉を運転しようと思えば、もちろん厖大な二酸化炭素が放出されてしまいます。この事実があるため、国や電力会社も「発電時に」と言う言葉を追加せざるを得なかったのでした。しかし、「発電時に」と言うことが原子力発電所を動かすことを示すのであれば、原子力発電所の建設にも運転にも厖大な資材や化石燃料を必要としているのですから、その宣伝もまた正しくありません。その上、たしかに核分裂現象は二酸化炭素を生みませんが、代わりに生むものは核分裂生成物、つまり死の灰です。

JAROによる裁定

原子力を推進する国や電力会社は、原子力は二酸化炭素を出さないとして、「エコ」であるとか「クリーン」であるとマスコミ、ミニコミ、あらゆる手段を使って四六時中宣伝しています。このような宣伝の洪水に晒されれば、多くの日本人がそれを信じてしまうことはやむをえないことでしょう。その宣伝に違和感を思えた一人の若者がJARO(日本広告審査機構)に、こうした宣伝の正当性について審査を求めました。JARO は専門家による審査委員会を作って検討し、以下のような裁定を下しました。

『今回の雑誌広告においては、原子力発電あるいは放射性降下物等の安全性について一切の説明なしに、発電の際にCO2を出さないことだけを捉えて「クリーン」と表現しているため、疑念を持つ一般消費者も少なくないと考えられる。

今後は原子力発電の地球環境に及ぼす影響や安全性について充分な説明なしに、発電の際にCO2を出さないことだけを限定的に捉えて「クリーン」と表現すべきでないと考える。』

あまりに当然な裁定ですが、JARO は民間の機関で強制力を持たないため、国と電力会社はこの裁定を無視して、相変わらず偽りの宣伝を流し続けています。

低レベル放射性廃物

図10 低レベル放射性廃物の蓄積の推移

図10 低レベル放射性廃物の蓄積の推移

図9)には1基の原子炉の運転に伴って毎年ドラム缶1000 本分の「低レベル放射性廃物」が生じることを記しました。過去、それがどの程度たまってきたかを、(図10)に示します。左の端に1980年における蓄積量を示しましたが、当時原子力発電所の敷地に約25 万本のドラム缶がたまっていました。一方そのドラム缶を格納するための貯蔵施設の能力は33万本分しかありませんでした。ドラム缶は容赦なく増えてくるため、原子力発電所では貯蔵施設を次々と増設していきました。それでもドラム缶が増えてきて、いずれは貯蔵できなくなることが分かり、初めにやったことは一度ドラム缶に詰めた廃物のうち、燃えるものはドラム缶から引き出して燃やして減らすことでした。そうしてすでに60万本近いドラム缶を減らしました。それでも廃物は容赦なく増えてくるため、次にやったことは、青森県六ヶ所村に運んで埋め捨てにすることでした。すでに20万本を超えるドラム缶が六ケ所村に埋め捨てにされました。地面に穴を掘り、その穴の中にコンクリート製のプールのようなものを並べました。コンクリートの構造物の中に、ドラム缶を並べていき、いっぱいになったら上にコンクリート製のふたをし、周りを粘土で固め、その上に土を被せて終わりと言っています。しかし、ドラム缶はいずれさびて穴が開きますし、ドラム缶の中に入っているのは放射性物質です。そのため、この構造物の端には「点検路」があって、漏れてくる放射性物質がどの程度か監視し続けることになっています。

図11 日本の原子力発電による累積発電量と核分裂生成物の累積生成量

図11 高レベル廃物処分は地層処分だけ?

そして、日本の国は、それが安全になるまでに300年間管理するのだと言っています。日本で原子力発電を行って利益を得ているのは電力会社です。当然、生み出す放射能のごみに責任があるのは、電力会社のはずです。しかし、現在の九電力が生まれたのは戦後で、その歴史は未だに59年しかありません。その電力会社が放射能のごみを300年間管理すると保証できる道理がありません。そこで、電力会社は放射能のごみは国の責任で管理してくれるよう求め、日本の国はそれを受け入れました。しかし、300年と言う時間の長さはどの程度の長さなのでしょうか?

明治維新で現在の日本の国家体制ができてからわずか140年しかたっていません。米国など未だに230年の歴史しかありません。現在から300年昔にさかのぼれば元禄時代、忠臣蔵討ち入りの時代です。その時代の人々が現在の私たちの社会を想像できた道理がないように、私たちが300年後の社会を想像することなど到底できません。もちろん現在の電力会社など存在しないでしょうし、自民党という政党もないでしょう。日本の国すらないかもしれない彼方です。それにもかかわらず、生み出した放射能のごみを300年にもわたって一体どうやって誰の責任で管理するのでしょう?

日本の原子力発電は1966年の東海1号炉の運転で始まりましたが、今日までに生み出してしまった核分裂生成物の量を(図11)に示します。この図に示したように、生み出した核分裂生成物(Cs-137 で測る)の量は広島原爆のそれの100万発分を超えてしまいました。この核分裂生成物は「高レベル放射性廃物」として100万年にわたって、生命環境から隔離しなければいけない毒物です。

図12 高レベル廃物処分は地層処分だけ?

図12 高レベル廃物処分は地層処分だけ?

日本では現在、青森県六ヶ所村に建設された貯蔵施設(高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター)に、およそ50年間を目処に一時的に貯蔵して当座をしのいでいます。また、2000年5月に「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が成立し、その廃物は、深さ300-1000mの地下に埋め捨てにする方法が唯一のものと決められました。しかし、どんなに考えたところで、100万年後の社会など想像できる道理がありません。もちろん現存しているすべての国は消滅しているでしょうし、人類そのものが存在しているかどうかすら分かりません。その頃にもし人類がこの地球上に存在していれば、地下1000mなど、ごく普通の生活環境になってしまっているかも知れません。地層処分の選択をせざるをえなかったのは、他に考えた方策がどれもだめだったからに過ぎません(図12)。結局、人類は原発が生み出す廃物の処分方法を知らないまま今日まで来てしまいました。

もし、高レベル放射性廃物を現在の日本の国が言っているような方法でなく、きちんと管理し続けようとすれば一体どのような手段があるのか、現在の科学では、シナリオすら描けません。したがって、一体どれくらいのエネルギーが必要になるか定量的に示すこともできませんが、発電して得たエネルギーをはるかに上回ってしまうことは想像に難くありません。

厖大な温廃水

図13 「原子力発電所」は「海温め装置」

図13 「原子力発電所」は「海温め装置」

今日100万kWと呼ばれる原子力発電所が標準的になりましたが、その原子炉の中では300万kW 分の熱が出ています。その300万kW 分の熱のうちの100万kWを電気にしているだけであって、残りの200万kW は海に捨てています(図13)。私が原子力について勉強を始めた頃、東大の助教授をしていた水戸巌さんが私に「『原子力発電所』と言う呼び方は正しくない。あれは正しく言うなら『海温め装置』だ」と教えてくれました。300万kW のエネルギーを出して200万kW は海を暖めている、残りの僅か3 分の1 を電気にしているだけなのですから、メインの仕事は海温めです。そういうものを発電所と呼ぶこと自体が間違いです。

表3 原発の温廃水の厖大さ(1年毎)

表3 原発の温廃水の厖大さ(1年毎)

その上、海を温めるということは海から見れば実に迷惑なことです。海には海の生態系があって、そこに適したたくさんの生物が生きています。100 万kW の原子力発電所の場合、1 秒間に70トンの海水の温度を7 度上げます。石狩川は日本最多の流量を誇る大河ですが、その年平均流量は1 秒間に454 トンです。日本全体でも、1 秒間に70 トンの流量を超える川は30 に満ちません。原子力発電所を造るということは、その敷地に忽然として暖かい川を出現させることになります。また、7度の温度上昇が如何に破滅的かは、入浴時のお湯の温度を考えれば分かるでしょう。皆さんが普段入っている風呂の温度を7度上げてしまえば、決して入れないはずです。しかし、それぞれの海には、その環境を好む生物が生きています。その生物たちからみれば、海は入浴時に入るのではなく、四六時中そこで生活する場です。その温度が7度も上がってしまえば、その場で生きられません。

日本は、気候に恵まれた、得がたい生命環境だと私は思います。たとえば、雨は地球の生態系を持続させる上で決定的に重要なものですが、日本の年間降水量は平均で1700mmを越え、世界でも雨の恵みを受けている貴重な国の一つです。国土全体では毎年6500億トン近い雨水を受けています。それによって豊かな森林が育ち、長期にわたって稲作が持続的に可能になってきました。また、日本の河川の総流量は約4000億トンです。一方、現在日本には54基、電気出力で約4900万kWの原子力発電所があり、それが流す温排水の総量は1年間に1000億トンに達します。日本の全河川の流量に換算すれば約2度も暖かくしていることになり(表3)、これで温暖化しなければ、その方が不思議です。

もちろん日本には原子力発電所を上回る火力発電所が稼動していて、それらも冷却水として海水を使っています。しかし、現在の原子力発電所は、燃料の健全性の制約からタービンに送る蒸気温度を高々280℃までしか上げることができず、発電の熱効率は約33%でしかありません。一方、最近の火力発電所では、500度を超える高温の蒸気を利用できるようになり、発電の熱効率は50%を超えています。つまり、海に捨てるエネルギーは、化石燃料を燃やしてでてきたエネルギーの半分以下で済みます。もし原子力から火力に転換することができれば、それだけで海に捨てる熱をはるかに少なく済ませることができます。その上、火力発電所を都会に建ててコジェネを使えば、総合のエネルギー効率を80%にすることも可能です。しかし、原子力発電所は都会に建てられず、この点でも原子力は失格です。

7. 原子力からは簡単に足を洗える

原子力は即刻やめても困らない

日本では現在、電力の約30%が原子力で供給されています。そのため、ほとんどの日本人は、原子力を廃止すれば電力不足になると思っています。また、ほとんどの人は今後も必要悪として受け入れざるを得ないと思っています。そして、原子力利用に反対すると「それなら電気を使うな」と言われたりします。

しかし、発電所の設備の能力で見ると、原子力は全体の18%しかありません。その原子力が発電量では28%になっているのは、原子力発電所の設備利用率だけを上げ、火力発電所のほとんどを停止させているからです。原子力発電が生み出したという電力をすべて火力発電でまかなったとしても、なお火力発電所の設備利用率は7割にしかなりません。それほど日本では発電所は余ってしまっていて、年間の平均設備利用率は5割にもなりません。つまり、発電所の半分以上を停止させねばならないほど余ってしまっています。

ただ、電気は貯めておけないので、一番たくさん使う時にあわせて発電設備を準備しておく必要がある、だからやはり原子力は必要だと国や電力会社は言います。しかし、過去の実績を調べてみれば、最大電力需要量が火力と水力発電の合計以上になったことすらほとんどありません。電力会社は、水力は渇水の場合には使えないとか、定期検査で使えない発電所があるなどと言って、原子力発電所を廃止すればピーク時の電気供給が不足すると主張します。しかし、極端な電力使用のピークが生じるのは一年のうち真夏の数日、そのまた数時間のことでしかありません。かりにその時にわずかの不足が生じるというのであれば、自家発からの融通、工場の操業時間の調整、そしてクーラーの温度設定の調整などで充分乗り越えられます。今なら、私たちは何の苦痛も伴わずに原子力から足を洗うことができます。

8. 不公正な世界

核開発と原子力開発

日本では、「核」といえば軍事利用で「原子力」といえば平和利用であるかのごとく宣伝されてきました。「Nuclear Weapon」は「核兵器」、「Nuclear Power Plant」は「原子力発電所」と訳されます。「Nuclear Development」は、もしそれを行う国がイランや朝鮮民主主義人民共和国であれば「核開発」と訳されます。たとえば、朝鮮が原子炉を稼動させたり、イランがウラン濃縮施設を稼動させたりしようとすると、「核開発」と断罪し、「国際社会」が制裁するのだそうです。ならば質問したい。日本には原子炉はないのか?ウラン濃縮はしていないのか?再処理をしていないのか?日本には現在54基の原子力発電所が稼動中です。その上、巨大な濃縮工場があるし、再処理工場も東海村で動いている上、さらに今また青森県六ケ所村で巨大な再処理工場を稼動させようとしています。ところが、それらすべては「核開発」ではなく「原子力開発」なのだと日本の国は言います。そして「原子力開発は文明国にとって大変大切なものであって積極的に推進する」と言います。しかし、もともと技術に軍事用も平和用もありません。今日の日本人は原子炉といえば発電を思い浮かべるでしょうが、もともと「原子炉」とは長崎原爆の材料となったプルトニウムを生み出すためにこそ開発された道具です。また、「再処理」とは原子炉を運転して生み出されたプルトニウムを死の灰から分離するために開発された技術です。もともと、科学・技術に「軍事」用と「平和」用の区別はありません。もしあるとすれば、かつて野坂昭如さんが指摘したように「戦時」利用と「平時」利用の差しかありません。もちろん「平和」利用といいながら開発した技術も、必要であればいつでも「軍事」的に利用できます。今日「原子力の平和利用」などと称して使われているすべての技術は米国の原爆製造計画、マンハッタン計画から生まれました(図3)。もちろん、核兵器保有国、米・英・仏・露・中の5カ国は「ウラン濃縮」「原子炉」「再処理」の核開発中心3技術を持っています。そして、非核兵器保有国で唯一、それら3技術を持っている国が日本です。

日本国憲法と現実

多くの日本人は、日本は核開発しないと思い込まされていますが、日本政府の公式見解は「自衛のための必要最小限度を越えない戦力を保持することは憲法によっても禁止されておらない。したがって、右の限度にとどまるものである限り、核兵器であろうと通常兵器であるとを問わずこれを保持することは禁ずるところではない」(1982 年4 月5 日の参議院における政府答弁)というものです。

また、外交政策企画委員会(外務省)が1970年ごろに作成した内部資料「わが国の外交政策大綱」には、以下のように書かれています。

「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持するとともに、これに対する掣肘(せいちゅう)を受けないよう配慮する。又、核兵器の一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する」

さらに、「個人としての見解だが、日本の外交力の裏付けとして、核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。保有能力はもつが、当面、政策として持たない、という形でいく。そのためにも、プルトニウムの蓄積と、ミサイルに転用できるロケット技術は開発しておかなければならない」という外務省幹部の談話は、日本が原子力に固執し続ける本当の理由を教えてくれます。

現在、日本では憲法9条の改悪の策謀が進んでいます。憲法9条には、これ以外の解釈が出来ないほど明白に、軍隊を持たないと書かれています。にもかかわらず、日本は世界屈指の軍事費を使う国で、巨大な自衛隊があります。小泉元総理は「確かに自衛隊は憲法に違反している、だから憲法を改正する」と言ったのでした。その憲法9条は、憲法前文に示されている理念に基づいたものです。解釈のしようのないほど明確に、軍隊ではなく、諸外国の公正と信義に信頼して自分の安全を守るというのです。そして、そのためには、全世界の国民が、ひとしく平和のうちに生存しなければならないと書かれています。

公正な世界を目指して

5昨年、米国大統領になったオバマは同年5月にプラハで演説し、米国が「唯一核兵器を使用した国」であると認めました。それを受け、核廃絶に対する期待が高まりましたし、先日は米国とロシアの間でSTART・に続く核兵器削減条約が合意されました。また、今度の5 月にはNPT(核拡散防止条約)再検討会議が開かれ、それに期待する人々もいます。しかし、NPT はもともと核兵器保有国と非核兵器保有国を峻別する不平等条約です。もちろん核兵器は廃絶すべきものですし、それまでには粘り強い努力と長い時間が必要でしょう。しかし、公正な世界を作るために、不平等な条約を足場にすることが可能かどうか、私は深く疑念を持ちます。その上、核保有国は核の独占体制を維持しようとし続けていますし、原子力=核の世界でも、核技術の支配を維持しようとしています。

先日は「非核3原則」すらが守られていなかったことが暴露されました。それを受けて、米軍による核の持ち込みは認める2.5原則という選択があるという主張も出てきましたし、米国の核の傘の代わりに日本自体が核武装すべきだという主張すら公然と出てきました。まったくこの国はなんという国なのでしょう。他国に核をもってはいけないというのであれば、自分が米国の核の傘に隠れてもいけません。本来なら、軍事力でなく諸国民の公正と信義に信頼して安全を守ろうとした国です。自衛隊を廃止し、米軍などすべて退去させるのが憲法の理念です。

【追記】 新型炉(?)に対する愚かな期待

世界初の原子炉は1942 年に動き始めました。その後、原爆材料であるプルトニウム生産するために、多数の原子炉が動きました。やがて、核分裂のエネルギーを利用しようとして、さまざまな形の原子炉が開発されてきました。しかし、広島原爆で燃えたウランの量が約800g であったのに対して、100万kWの原子力発電所を1 年動かそうとすれば、1 トンのウランを燃やす必要があります。優に1000 倍以上のウランを核分裂させなければいけません。もともと地殻中に存在するウランは多くなく、そのウランのわずか0.7%しか存在しない核分裂性ウラン(U-235)を利用する原子力は、未来のエネルギー源にならないことは明白でした。そこで、非核分裂性ウラン(U-238)を核分裂性プルトニウム(Pu-239)に変換して燃やすことを考え付き、それが高速増殖炉を中心とする核燃料サイクル構想となったのでした。

しかし、高速増殖炉は実現できず、今日ようやく動いている原子力発電所は、ほとんどが軽水炉と呼ばれる原子炉です。軽水炉とは「軽水」すなわち、普通の水を冷却材に用いる原子炉の総称です。水は比熱が大きく、冷却材として最高の物質です。その上、化学的に安定ですし、中性子を浴びてもほとんど放射化しません。さらに透明であるため、冷却材の中にある物体を見通すこともできます。だからこそ、最初の原子炉が動き始めて70年近くたった現在、軽水炉だけが生き延びてきたのです。技術的必然の結果です。

ところが最近、マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏がTWRなる炉に多額の資金を投入して開発を目指すというニュースが報じられました。TWR とは「Traveling Wave Reactor」の頭文字をとったもので、燃えないウランをプルトニウムに変換させながら燃焼させようという1 種の高速増殖炉です。高速増殖炉は冷却材として水を用いることができず、TWRもナトリウムを冷却材にしようとしています。ナトリウムは、比熱が水の3分の1 しかなく、もともと冷却材に適していませんし、化学的に活性で水と触れると爆発、空気と触れると発火します。その上、中性子を浴びると放射化し、寿命の短いNa-24(半減期15 時間)、寿命の長いNa-22(半減期2.6 年)を生じます。その上、不透明ですので、ナトリウムに浸かっている機器を目視することもカメラで見ることもできません。ナトリウムが持つそうした基本的な不都合な性質のため、高速増殖炉開発が断念されてきたのです。その上、TWR は一度燃料を装荷したら、100年運転し続けられると宣伝されていますが、それを支えるような材料すらありません。当然、実現しません。

一方、燃えないウランをプルトニウムに変換して利用しようとする核燃料サイクルが一向に実現しない上、プルトニウムに手を染めると核開発になるため、トリウムを利用しようという構想もあります。しかし、天然にあるトリウム(Th-232)は核分裂性でなく、その構想は非核分裂性トリウム(Th-232)を核分裂性ウラン(U-233)に変換して利用しようとするものです。U-233 は強いガンマ線を出すため、テロリストたちが利用できないので、核開発にならないというのです。しかし、核開発をするのはテロリストではなく、国家です。国家にとっては、U-233 が核分裂性の物質であるなら、ガンマ線が強いかどうかなど些細な問題で、結局、トリウムを利用しても核開発に繋がってしまいます。おまけに、天然に存在する核分裂性物質であるU-235 を利用する原子力ですら、破たんの瀬戸際です。非核分裂性のトリウムを利用する原子力など到底実現できる道理がありません。

私たちは何故いつまでも原子力などに期待をかけているのでしょう? 原子力はその本性として核と一体です。そして、それを使えば無毒化の方策を持たない厖大な放射性物質を残す以外ありません。その上、すでに本文の図5に示したように、未来のエネルギー源などにもともとならないものです。一方、その図の外枠に使っているのは太陽が1年毎に地球にくれているエネルギーです。ウランや化石燃料は地球が46億年の歴史をかけて作ってきた資源であることと比べれば、如何にそれが巨大であるか分かるでしょう。もちろん太陽エネルギーすら人類が無制限に使っていいものではありません。この地球上の生命はすべてが太陽のおかげで生きています。人類が勝手に太陽エネルギーを使うようなことをすれば、生態系が影響を受けることになります。だからこそ、原子力に夢を託すのではなく、一刻も早く太陽エネルギーの適切な利用を考える方向に向かわなければいけません。ただし、日本を含め「先進国」と自称している国々に求められていることは、何よりもエネルギー浪費社会を改めることです。

残念ではありますが、人間とは愚かにも欲深い生き物のようです。種としての人類が生き延びることに価値があるかどうか、私には分りません。しかし、もし地球の生命環境を私たちの子供や孫たちに引き渡したいのであれば、その道はただ一つ『知足』しかありません。一度手に入れてしまった贅沢な生活を棄てるには苦痛が伴う場合もあるでしょう。当然、浪費社会を変えるには長い時間がかかります。しかし、世界全体が持続的に平和に暮らす道がそれしかないとすれば、私たちが人類としての叡智を手に入れる以外にありません。私たちが日常的に使っているエネルギーが本当に必要なものなのかどうか真剣に考え、一刻でも早くエネルギー浪費型の社会を改める作業に取り掛からなければなりません。 (完)

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